萩原朔太郎 短歌六首 明治四三(一九〇二)年六月
淸元の神田祭のメロデイに似たる戀しぬたちばなの花
行く春の淡き悲しみいそつぷの蛙のはらの破れたる音
忘られず活動寫眞の幕切れにパリの大路を横ぎりしひと
しかれども悲劇の中の道化役の一人として我は生くべき
わが妹初戀すとは面白しオーケストラの若き笛ふき
日まはりの雄々しき花も此の國の人はかなしく捨てたまふ哉
[やぶちゃん注:『創作』第一巻第四号・明治四三(一九〇二)年六月号に「萩原咲二」名義で掲載された。朔太郎満二十三歳。二首目の太字「いそつぷ」は底本では傍点「ヽ」。『創作』は同年三月に若山牧水(当時満二十五歳)が編集者として創刊した文芸総合雑誌で、当時、全文壇の注目を集めたが、版元との意見が合わず翌年九月に廃刊となった。]