萩原朔太郎 短歌三首 明治四四(一九〇三)年三月
欄に寄り酒をふくめば盃の底にも秋の愁ただよふ
赤城山鹿の子まだらに雪ふれば故郷びとも門松を立つ
町内の屋臺を引きし赤だすき十四の夏が戀の幕あき
[やぶちゃん注:『スバル』第三年第三号(明治四四(一九〇三)年三月発行)に「萩原咲三」名義で掲載された(「咲二」の誤りで校正漏れか誤植)。朔太郎満二十四歳。
二首目はこの年の医師で従兄萩原栄次(彼の短歌の指導者で、かの詩集「月に吠える」は彼に捧げられている)宛年賀状に初出する。以下に示す(筑摩版全集書簡番号一二。消印一月五日前橋。「大坂府河内郡三木本村字南木本 萩原榮次樣」宛。)。
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昨年中の御無沙汰平に御海容被下度願上候
まへばしニテ
朔太郎
賀正
赤城山かのこまだらに雪ふれば 故郷びとも門松を立つ、
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なお編者注には、夕暮れの山村風景を描いた版画の絵葉書で「松川」の印がある、とある。無沙汰の挨拶は表書きの下、後半の年賀と短歌はその版画の余白に記されてある。]