中島敦 南洋日記 十一月二十四日
十一月二十四日(月) 晴、一時曇
朝七時過又、タタッチョに向ふ。八時公學校着、一時間授業見學。直ちにソンソンに歸る。チャモロ部落入口の墓地を覗くに、十字架の群の中央に一基の石碑あり、バルトロメス庄子光延之墓とあり。日本人にして加特力教徒なる者の墓なり。か。裏を見れば、昭和十四年歿、九歳とあり。枯椰子十字架にかけし花輪どもの褐色に枯れしぼみたる。枯椰子の實の海風にはためける。濤聲の千古の嘆を繰返せる。すべて、もの哀しきこと限りなし。
「なみ音の古き嘆きぞ身には沁むロタのチャモロが奧津城どころ」、
午後、國民學校に行き、校長と語る。郵船に行き漸く切符を購む。四時半乘込。前田氏あり、東京出張の由、清峯君、航空便のたかの手紙を持つて來てくれる。サイパン丸は燈火管制にて暗し。夜、將棋。
[やぶちゃん注:このバルトロメス庄子光延君の墓は今もあるのだろうか?……訪ねたい気がしてくる……。
「バルトロメス」バルトロマイ(ギリシャ語:Βαρθολομαίος)。新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。日本正教会では現在、「ワルフォロメイ」と転写される。皮剥ぎの刑で殉教したといわれ、ミケランジェロの「最後の審判」にも剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれている(この皮の顔はミケランジェロの自画像になっている)。バル・トロマイという名の語義は「タルマイの子」である。記念日は八月二十四日とされる。参照したウィキの「バルトロマイ」に拠れば、『共観福音書の弟子のリストではバルトロマイとしてあらわれるが、他に記述はみられない。上述のバルトロマイの語義から、彼の実名ではなく、父親の名前に由来する呼び名と思われること、ヨハネによる福音書の弟子のリストではバルトロマイの名前はなく、代わりにナタナエルという人物があげられていることから、伝統的にバルトロマイの本名がナタナエルであるという見方がされてきた』。『バルトロマイは、伝承ではタダイとともにアルメニアに宣教したとされ、この地方では篤く崇敬される。アルメニア使徒教会の名は、「タダイとバルトロマイによって建てられた教会」を自負するところから来ている』とある。無論、ここではカトリックの洗礼名である。]