栂尾明恵上人伝記 71 「無常を取り殺して、其の後にぞ我は死なんずる。無常にはとり殺さるまじ」
或る時、上人語りて云はく、大聖文殊(だいしやうもんじゆ)に大智を乞ひて、佛法の玄旨(げんじ)を心の底に伺ひ演(の)ぶる處、併て二空の妙理なり。三世の諸佛の大道、一代諸教の本意なりと思へば、手を放ちて空々(くうくう)とのみ空めき居たれば空めき死(じに)にぞ死なんずらん。此の空の故には無常を取殺(とりころ)して、其の後にぞ我は死なんずる。無常には取り殺さるまじきなり」と戯れ給ふ。
[やぶちゃん注:最期の時が迫る中、「手放しで『何もかも総て、空じゃ! 空じゃ!』とばかり念じて、空のただ中におりさえすれば、空めいた死に振りもできようものであろうず。このすべての真理たらん空故にこそ、我らは無常をテッテ的にとり殺す。無常を取り殺した、その後で、我らは死のうと存ずるのじゃ。我らは決して――無常によってはとり殺されはせぬぞ!」と如何にもシブい冗談を述べる明恵――私にはその少年のようなつやつやとした素晴らしい笑顔が――見える……
「二空の妙理」講談社学術文庫の平泉氏の訳では、『物質と精神との二元論的存在を否定する不思議な道理』とある。
「三世」過去・現在・未来。
「一代諸教」釈迦がその生涯で説いた多くの教え。]
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