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2014/01/30

ブログ・カテゴリ「篠原鳳作」始動 / 篠原鳳作句集 昭和三(一九二八)年/昭和四(一九二九)年

[やぶちゃん注:ブログ・カテゴリ「篠原鳳作」を始動する。篠原鳳作(しのはらほうさく 明治三九(一九〇六)年~昭和一一(一九三六)年)は鹿児島市池之上町生。本名篠原國堅(くにかた)。東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、沖縄県立宮古中学校・鹿児島県立第二中学校で教師(公民・英語科担当)を勤める傍ら「ホトトギス」に投句、昭和八(一九三二)年には『天の川』同人となるとともに(この部分は講談社「日本人名大辞典」に拠るが、底本年譜では同人になった時期が明記されていない代わりに、『天の川』への投句は昭和四年には開始されていたこと、昭和五年には同誌の主催者である吉岡禅寺洞選への投句が開始されており、翌六年一月には鹿児島市に『天の川』支部を開設、十月には諸俳誌から遠ざかって禅寺洞の指導へ傾倒していったとあるので、やや不審ではある。無論、正式な同人になったのがその後ということなのであろうが、支部を作る人間が同人ではなかったというのはやはり私には解せない)、昭和八年九月には『天の川』同人らの『傘火(かさび)』に参加して新興俳句運動の旗手となって無季俳句を多く発表したが、昭和一一年九月十七日、三十歳で急逝した(直接の死因は公に心臓麻痺とされるが、前駆症状などからは脳腫瘍等の脳神経系の重篤な主因が疑われるように私は感じている)。

 私は既にサイト創生期の二〇〇五年七月に筑摩書房「現代日本文学全集 巻九十一 現代俳句集」一九六七年刊の「篠原鳳作集」を底本とした電子化を行っているが、ここでは無論、鳳作の全句の公開を目指す。底本は沖積舎平成一三(二〇〇一)年刊「篠原鳳作全句文集」を用いたが、例によって彼は戦前の作家であるからして、私の特に俳句のテクスト化ポリシー(この理由については俳句の場合、特に私には確信犯的意識がある。戦後の句集は新字採用のものもあるであろうが、それについては、私の「やぶちゃん版鈴木しづ子句集」の冒頭注で、私の拘りの考え方を示してある。疑義のある方は必ずお読み頂きたい)に従い、恣意的に漢字を正字化して示すこととした。但し、疑義のある部分については、先に電子化した選句集の表記その他を参照したので、完全に「恣意的」であるとは言い難い。なお、編集権を侵害しないために(また私にはあまり重要とは思われないが故に)各句の初出データは、注で出したものを除き、省略した。]

 

昭和三(一九二八)年

 

  病中

夜々白く厠の月のありにけり

 

[やぶちゃん注:底本で最も古い鳳作の句として冒頭に掲げられている。初出は同年二月刊行の『ホトトギス』で初入選句である。当初の俳号は未踏であったが、本句はその後に頻繁に用いた「篠原雲彦」を用いている。但し、両俳号はその後も併用した(底本年譜に拠る)。当時、鳳作二十二歳、東京帝国大学法学部政治学科二年。]

 

昭和四(一九二九)年

 

コスモスの日南の緣に織りにけり

 

[やぶちゃん注:「日南」は「ひなた」であろう。鳳作二十三歳、この四月に帝大を卒業して鹿児島に戻っているが、この時期は職に就いておらず(これは当時発生していた極端な就職難という外因によるものと思われる)、年譜上からは俳句へと急速に傾倒していった時代と読み取れる。彼の手帳メモによれば、当時の主な投句俳誌は『泉』『馬酔木』『天の川』『京鹿子』であった。]

 

慈善鍋キネマはてたる大通り

 

秋の蚊のぬりつく筆のほさきかな

 

ままごとの子等が忘れしぬかご哉

 

[やぶちゃん注:「ぬかご」は零余子(むかご)。植物の栄養繁殖器官の一つで、主として葉腋や花序などの地上部に生じるものを呼び、離脱後には新たな植物体となる。葉が肉質となることにより形成される鱗芽と、茎が肥大化して形成された肉芽とに分けられ、前者はオニユリなど、後者はヤマノイモ科などに見られるものである。両者の働きは似ているが、形態的には大きく異なり、前者は小さな球根のような形、後者は芋の形になる。いずれにせよ根茎の形に似る。ヤマノイモなどでは栽培に利用される。食材として単に「むかご」と呼ぶ場合、一般にはヤマノイモ・ナガイモなど山芋類のむかごを指し、ここでもそれと考えてよい。灰色で球形から楕円形を成し、表面には少数の突起があって葉腋につく。塩茹でや煎り、また、米と一緒に炊き込むなどの調理法がある。零余子は仲秋の、零余子飯(むかごめし)は晩秋の季語である(以上はウィキの「ご」に拠った)。]

 

歸り咲く幹に張板もたせけり

 

[やぶちゃん注:同年十一月発表。帰り花は初冬の季語であるが、花は特定されない。梅か桜か。「張板」は和服地を洗って糊附けして張り板に張り、皺を伸ばして乾かす板張りのための板。字背に花と和服の色を隠した小春日の景で、なかなか憎い句柄である。]

 

凍て蜜柑少し焙りてむきにけり

 

懷ろ手して火の種を待ちにけり

 

山茶花の花屑少し掃きにけり

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