萩原朔太郎 短歌 五首 明治四四(一九〇三)年四月
薄暗き酒場の隅に在るひとが我に教へし道ならぬ道
砂山の枯草の上を我が行けば蟲力なく足下に飛ぶ
悲しみて二月の海に來て見れば浪うち際を犬の歩ける
かのベンチ海を見て居りかのベンチ日毎悲しき人待ちて居り
縁端に疲れし顏の煙草吸ふ教師の家の庭のこすもす
[やぶちゃん注:『スバル』第三年第四号(明治四四(一九〇三)年四月発行)の「歌」欄「その四」に「萩原咲二」名義で掲載された。朔太郎満二十四歳。当時の朔太郎は前年の初夏に岡山の六高を退学後、実家と東京を行き来して放浪、二月には比留間賢八の「マンドリン好楽会」に入門するなどしていた彷徨期であった。二首目の海は大磯海岸と考えてよい。底本筑摩版全集の年譜(伊藤信吉・佐藤房儀編)の明治四四年の二月項に、『同月8日 何となく東京を逃げだしたい氣持に驅られ、新橋ステーションから汽車に乘り大磯に行き、海を見る』とある。]