萩原朔太郎 短歌四首 明治三七(一九〇四)年十一月
ゆふ月のさせば武藏の母もきてありしむかしの夢さそふ夜や
月ふめばそぞろさびしき名はうせて濱の夕べをおどり笑む人
慕ひ行くにそこは名の囗、智惠の囗二度おもふ戀はいづかた
あひ行くに秋雨ほそう道ほそし人よみ手なる傘をたまへな
[やぶちゃん注:『白虹』創刊号(明治三七(一九〇四)年十一月発行)の「九輪草」欄に掲載された。萩原朔太郎満十八歳。「囗」は「國」の古字。
『白虹』は「はっこう」と読み、岡山にあった血汐会(明治三十六年に当時、関西中学に在籍していた入沢涼月(本部は岡山市大字花畑の彼の自宅)・有本芳水・美土路昌一(元朝日新聞社長)らによって結成された文芸結社)が発行した文芸雑誌。同誌には尾上紫舟・小山内薫・正宗白鳥・小川未明ら中央の作家も寄稿した。
一首目は先の『明星』卯年第十二号(明治三六(一九〇三)年十二月発行)に、
夕月のさせば武藏の母もきてありし昔の夢さそふ夜や
の表記で既発表。
三首目は先の『文庫』第二十五巻第六号(明治三七(一九〇四)年四月発行)に、
そゞろ行くに、ここは名の國智慧の國。ふたゝび思ふ戀はいづかた。
のヴァリアントである。なお本歌は底本改訂本文では、漂泊洗浄が施されてしまい、
慕ひ行くにそこは名の國、智惠の國、二度おもふ戀はいづかた
と綺麗に乾されてある。]

