中島敦 南洋日記 十一月二十九日
十一月二十九日(土) 晴
朝公學校、兒童の彫刻(本立)を見る、パラオ丸正午入港、高里氏來、紀之國屋に入つて語る。彼の世話にて、實業學校教諭田邊氏宅に移る。高里氏はラヂオ屋に落付く。月明の白き街道に立ち、通りすがる島民兒童に菓子を與ふるは、娯しきかな。彼等幼き者の、はじめ驚き懼れ、さて、疑ひ、つひに歡ぶ狀、興あり。
[やぶちゃん注:同日附中島たか宛の葉書が残る。以下に示す。
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〇十一月二十九日附(消印・サイパン郵便局一六・一一・二九。パラオ、南洋庁地方課。 東京市世田谷区世田谷一ノ二一四 中島たか宛)
まだ十日頃の月だのに、とても明るい。夜涼しいのでバナナの葉の下の白い路をどんどん歩いて行つたら、街に出て、劇場にぶつつかつた。琉球(リウキウ)の芝居をやつてゐるので、物好に、はいつて見た。言葉がまるで解らない。二時間ばかり見てゐたが、解つた言葉は四つ五つしかない。それ程沖繩(ヲキナハ)の言葉は、標準語と違ふんだよ。しかし、琉球の風俗と、踊とが面白かつた。僕がサイパンに來てゐることまで、ここの新聞に出るんだから、隨分狹(せま)い島だなあ。
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旧全集「書簡Ⅰ」番号一四六である。]
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