生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 二 原始動物の接合(2) ゾウリムシ~本文追加リロード
昨日公開した部分が、切れ目が上手くないことに気付いたので、本文を追補し、挿絵の位置も変更した。
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花瓶内の古い水を一滴取つてこれを顯微鏡で調べて見ると、その中に長楕圓形で全身に纖毛を被つた蟲が活潑に泳ぎ廻つて居るが、これは「ざうり蟲」と名づける一種の原始動物である。體の前端に近い方の腹側に漏斗狀の凹みがあるが、これはこの蟲の口であつて、黴菌や藻類の破片などの微細な食物が絶えずこゝから體内へ食ひ入れられる。常に忙しさうに泳ぎ廻つて食物を探し求め、砂粒などに衝き當ればこれを避けて迂廻し、更にあちらこちらと游ぐ樣子を顯微鏡で覗いて居ると、如何にも運動も活潑、感覺も鋭敏であるやうに思はれ、まるで鼠か「モルモット」でも見て居るやうな心持がする。かく絶えず食物を求めてこれを食ひ、漸々生長して一定の度に達すると體が二つに分れて二疋となるが、その際にはまづ核が縊れて二つとなり、一個は體の前方に一個は體の後方に移り、次に身體が横に縊れて恰も瓢簞の如き形になり、終に切れて二疋の離れた蟲となつてしまふ。「ざうり蟲」の蕃殖法は通常はかやうな簡單な分裂法によるが、しかしこの方法のみによつていつまでも繁殖し續けることは出來ぬらしい。或る人の實驗によると、以下に食物を十分に與へ生活に差支のないやうに注意して飼うても、分裂生殖を何度も繰り返して行うて居ると、蟲が段々弱つて來て、身體も小さくなり勢も衰へ、二百代目か三百代目にもなると、終には自然に悉く死に絶える。しからば「ざうり蟲」が實際種切れにならずに、どこにも盛に生活して居るのは何故であるかといふに、これは分裂生殖を續ける間に折々系統を異にする蟲が二疋づつ寄つて接合するからである。接合によつて二疋の蟲が體質を混じ合せると、一旦衰へかゝつた體力を囘復し勢が盛んになつて、更に分裂によつて繁殖し續け得るやうになるのである。
[やぶちゃん注:「ざうり蟲」クロムアルベオラータ界 Chromalveolata アルベオラータ Alveolata 亜界繊毛虫門貧膜口(梁口)綱ゾウリムシ目ゾウリムシ科ゾウリムシ
Paramecium 属。ウィキの「ゾウリムシ」によれば、『水田や沼や池など淡水の止水域に分布する。細胞表面の繊毛により遊泳するため、単細胞生物としては移動力が大きい。障害物などに接触すると、繊毛逆転により遊泳方向を反転する(後退遊泳)』。細胞の長さは
90~150マイクロメートル、幅は40マイクロメートル程度で、『名前は平たい印象を与えるが実際には円筒形に近く、中腹には細胞口というくぼみがややねじれるように入っている。細胞表面には約3500本の繊毛を持っており、ゾウリムシはその繊毛を使って泳ぐ。繊毛は体表の繊毛列にそって生えている。ゾウリムシの繊毛は細胞全体にほぼ均一に生えているが、細胞口の奥の部分では細胞咽頭に向けて特殊な配置と動きが見られる。細胞口の奥には細胞内へ餌を取り込む細胞咽口があり、餌はここを通って食胞に取り込まれる。食胞内で消化が行われ、有用な成分は細胞内へ吸収されながら、食胞は細胞内をぐるっと回るように移動する。排泄物は細胞後方の細胞肛門から放出される』。『細胞の前後には、大きな星形もしくは花に見える放射状の細胞器官がある。これを収縮胞と言い、細胞内の浸透圧調節を担っている。収縮胞は中央の円形の部分と、周囲に花びらのように並ぶ涙滴型の部分からなる。水の排出時にはまず涙滴型の部分に水が集まり、ここから中央の円形の部分に水が移され、細胞外に水が放出される』。『細胞内には大小2つの細胞核があり、それぞれ大核と小核と呼ばれる。大核は普段の活動に関わる。小核は生殖核とも呼ばれ、有性生殖に関して働くとされる。細胞内に機能的に分化した核を持つのは繊毛虫類の特徴である』。『ゾウリムシは主に細菌類を餌とする。ただし近似種のミドリゾウリムシ(Paramecium bursaria)は、体内に緑藻であるクロレラを共生させており、光合成産物の還流を受けて生活することも可能である。逆にゾウリムシの捕食者は大型のアメーバや、ディディニウム(Didinium、シオカメウズムシ)といった他の繊毛虫である。ディディニウムは細胞前端の口吻部にエクストルソーム(extrusome)と呼ばれる射出器官を持っている。捕食時にはこれをゾウリムシに打ち込んで動きを止め、細胞全体を飲み込んで消化する』。『無性生殖は分裂による。他の繊毛虫同様、体軸方向の前後の部分に分かれるようにして分裂する。有性生殖としては細胞の接合が行われるが、その方法はやや特殊である。接合に先立ち、大核が消失するとともに生殖核である小核が減数分裂を行い、4つの核に分かれる。この内3つは消失し、残った一つがさらに2つに分裂し、この内の1つの核を互いに交換する。その後それぞれの細胞内の2核が融合することで接合は完了する。この間、2個体のゾウリムシは互いに同一方向を向いて寄り添うが、細胞間に連絡を持つだけで細胞そのものの融合は行われない。なお接合後、大核は小核を元にして改めて形成される』とある。]
[「ざうり蟲」の接合]
かやうに二匹の「ざうり蟲」が接合する所を見るに、まづ腹と腹とを合せ、口と口とで吸ひ附き、互に出來るだけ身體を身體を密接せしめ、次に腹面の一部が癒合し、身體の物質が相混ずる。この際最も著しいのは核が複雜な變化をすることであるが、結局いずれの蟲も核が二分し、一半はその蟲の體内に留まり、一半は相手の蟲の體内に移り行いてその内にある核と結び付き、兩方ともに新たな核が出來る。これだけのことが濟むと、今まで相密接して居た二疋の蟲は再び離れて、各々勝手な方へ游いで行き、さらに盛に分裂する。そしてかく接合するのは必ず血緣の稍々遠いもの同志であつて、同一の蟲から分裂によつて蕃殖したばかりのものは決して互に接合せぬ。それ故一疋の「ざうり蟲」を他と隔離して飼うて置くと、たゞ分裂して蟲の數が殖えるだけで、一度も接合が行なわれず、後には漸々體質が弱って來る。そこへ別の器に飼うてあつた別の「ざう川蟲」の子孫を入れてやると、非常に待ち焦れて居たかの如く、悉く相手を求めて同時に接合する。これから考へて見ると、接合とは幾分か體質の違つたものが二疋寄つてその體質を混じ合ふことで、體質の全く相同じものの間にはこれを行つてもなんの功もなく、また實際に行はれることのないものらしい。繪の具でも、紅と靑とを混ぜれば紫といふ別の色となるから、混ぜた甲斐があるが、同じ紅と紅とを混ぜても何の役にも立たぬのと恐らく同じ理窟であらう。
[やぶちゃん注:「移り行いて」はママ。講談社学術文庫版はこのままで「移り行(ゆ)いて」とルビするが、「ゆきて」のイ音便としても一般的な表現ではなく、徹頭徹尾いじくってしまっている講談社版が、わざわざこれをそのまま採るというのは如何にも私には不審である。]
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