日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 49 教え子の昆虫少年を訪ねる
私の普通学生の一人が私の家へ来て、彼が採集した昆虫を見に来てくれる時間はないかと聞いた。彼が屋敷の門から遠からぬ場所に住んでいることが判ったので、私は彼と一緒に、町通りから一寸入った所にある、美しい庭を持った小ざっぱりした小さな家へ行った。彼の部屋には捕虫網や、箱や、毒瓶や、展趨板や、若干の本があり、典型的な昆虫学者の部屋であった。彼はすでに蝶の見事な蒐集をしていて、私にそのある物を呉れたが、私が頼めば蒐集した物を全部くれたに違いない。翌日彼に昆虫針を沢山やったら、それ迄普通の針しか使用していなかった彼は、非常によろこんだ。数日後彼は私の所へ、奇麗につくり上げた贈物を持って来た。この品は、それ自身は簡単なものだったが、親切な感情を示していた。これが要するに贈物をする秘訣なのである。
[やぶちゃん注:「私の普通学生の一人」この「普通」はこの年に再編された東京大学予備門のことで、再編された旧東京開成学校にいた人物で、しかも蝶を蒐集していたという点から、これは後に帝国大学農科大学(のちの東京帝国大学農学部)教授となった石川千代松であることが分かった。ウィキの「石川千代松」を見ると明治九(一八七六)年、『東京開成学校へ入学した。担任のフェントン(Montague Arthur Fenton)の感化で蝶の採集を始め』、翌明治十年十月に、『エドワード・S・モース東京大学教授が、蝶の標本を見に来宅した』とあり、翌明治十一年に『東京大学理学部へ進んだ』とあるので間違いない。]
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