日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 38 謎の駄菓子屋(麸の焼きか?)
帰途、お寺へ通じる町の一つに、子供の市が立っていた。並木路の両側には、各種の仮小屋が立ち並び、そこで売っている品は必ず子供の玩具であった。仮小屋の番をしているのは老人の男女で、売品の値段は一セントの十分の一から一セントまでであった。子供達はこの上もなく幸福そうに、仮小屋から仮小屋へ飛び廻り、美しい品々を見ては、彼等の持つ僅かなお小遣を何に使おうかと、決めていた。一人の老人が箱に似たストーヴを持っていたが、その上の表面は石で、その下には炭火がある。横手には米の粉、鶏卵、砂糖――つまりバタア――の混合物を入れた大きな壷が置いてあった。老人はこれをコップに入れて子供達に売り、小さなブリキの匙を貸す。子供達はそれを少しずつストープの上にひろげて料理し、出来上ると掻き取って自分が食べたり、小さな友人達にやったり、背中にくっついている赤坊に食わせたりする。台所に入り込んで、薑(しょうが)パンかお菓子をつくつた後の容器から、ナイフで生麪(なまこ)の幾滴かをすくい出し、それを熱いストーヴの上に押しつけて、小さなお菓子をつくることの愉快さを思い出す人は、これ等の日本人の子供達のよろこびようを心から理解することが出来るであろう。国289は、この戸外パン焼場の概念を示している。老人の仮小屋は移動式なので、彼は巨大な傘をたたみ、その他の品々をきっちり仕舞い込んで、別の場所へ行くことが出来る。これは我国の都市の子供が大勢いる所へ持って来てもよい。これに思いついて、貧乏な老人の男女がやってもよい。
[やぶちゃん注:「バタア」原文も確かに“a batter”である。底本では直下に石川氏の『〔麺粉(うどんこ)、鶏卵、食塩等に牛乳を加えてかきまわしたもの〕』という割注がある。この割注通りだと、現在のケーキに用いるバター・クリームのことだが、私にはどうも「バタア」というモースの原文や石川氏の牛乳を加えたものという表現が不審である。明治十年のかくも低級な駄菓子に牛乳が使われていたとは私には思われないからである。一つ、これはもんじゃ焼きやお好み焼きのルーツとされる「麩の焼き(ふのやき)」と呼ばれるものではなかろうか? 以下、ウィキの「麩の焼き」によれば、『小麦粉を主体とした和菓子である。小麦粉を水で溶いて薄く焼き、芥子の実などを入れ、山椒味噌や砂糖を塗った生地を巻物状に巻いて成形する。麩焼き(ふやき)とも呼ぶ』。『巻いた形が巻物経典を彷彿とさせることから、仏事用の菓子として使われた。「秋の膳」の和菓子であり、茶会の茶菓子として安土桃山時代の千利休が作らせていた。利休の茶会記『利休百会記』にもたびたびその名が見える。江戸時代末期には、味噌に替えて餡を巻く助惣焼ができた。また、麩の焼きはお好み焼きのルーツとして知られる』。大方の御批判を俟つ。
「薑パン」原文“gingerbread”。ウィキの「ジンジャーブレッド」によれば、生姜を使った洋菓子の一種で『ジンジャークッキー、あるいはそれを家の形に組み立てたジンジャーブレッドハウス(ヘクセンハウス)を指すこともあるが』、『両者の違いは必ずしも明確ではない』とあり、『生姜はジンジャーパウダー(ショウガの乾燥粉末)、あるいはおろし生姜の絞り汁のみを使う。また甘味を付けるには糖蜜(トリックルもしくはモラセス)を用いるため、ジンジャーブレッドも黒みがかった色になる』。『生地の中にマスタードやレーズン、ナッツ類を加えることや温めたレモンソースなどを添えることもある』と製法を記す。『ジンジャーブレッドの起源は、古代ギリシア時代に、ロードス島のパン屋が焼いたものと言われ』、『中東から十字軍がヨーロッパに持ち帰ったことで各地に広まり、現在では東ヨーロッパからアングロアメリカまで広く見られる』。『イギリスではとても一般的なケーキで』、『ローマ時代に、アフリカ産の良質の生姜とともに伝わったとも言われる』。『なかでも、ヨークシャーなどイングランド北部には、パーキンというオートミールと糖蜜を使ったジンジャーブレッドがあり、ガイ・フォークス・ナイトに食べる習慣があ』り、『アメリカ合衆国では冬、特にクリスマスの前後に家庭で作って食べることが多い』とある。
「生麪(なまこ)」「なまめん」。「生麺」「生麵」に同じ。麺生地を延ばし細く切った状態のまま加熱や乾燥などの処理をしていない麺を普通は言うが、原文は“and with a knife scooping out drops of it”とあって、この“it”は前の「薑パンかお菓子をつくつた後の容器」に残っているところの、まだどろりとした(だから“drops”)捏ね残った生地のことを指している。]
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