生きてゐる耶蘇 萩原朔太郎
生きてゐる耶蘇
耶蘇が生きてゐたら、彼の多くの宗派に對して、悉く皆意義を唱へたらう。「それは私の宗派ではない。」と。それからして異端とされ、すべての宗派から火刑にされる。一般に後繼者等は、單なる偶像としての禮拜の外、決してその開祖を許容しない。生きてゐる開祖は、常に至るところで邪魔にされる。
[やぶちゃん注:『作品』第二巻第九号・昭和六(一九三一)年九月号に他十四篇のアフォリズムとともに掲載されたもので、後に「絶望への逃走」(昭和一二年第一書房刊)に所収された。太字「生きてゐる開祖」は底本では傍点「ヽ」。私はこのアフォリズムが頗る附きで好きである。]