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2014/01/07

耳嚢 巻之八 三雜談可笑事

 三雜談可笑事

 

 文化四年寅の春、芝車町(しばくるまちやう)より出火して大火におよび、予が許へ立入(たちいり)せし鍼醫(はりい)城藝英も神田にて類燒し、當分の住所にこまれる由を語りけるゆゑ、予が元屋敷駿河なる長屋をかして暫く住居せしが、毎夜長屋下を往來する商人、其外物語りおかしき事もあれば、窓のもとに立寄(たちより)夏の暑(あつさ)をしのぎけるに、ある夜四ツ時過(すぎ)九ツにもならんと思ふころ、あきなひなかばすみし樣にて、蕎麥屋田樂屋醴(あまざけ)屋三人長屋下へ荷を卸して、先(まづ)醴屋申けるは、最早しまひなり、殘るあまざけを、一盃たべまじきやと、發言なしければ、蕎麥屋の曰、いやきたなくて、くわるゝものかと、申ければ、いかにも茶碗をあらひ其外水を廻す時、あたりの川堀の水きらひなくとり入ぬれば、きれいにはなけれど、拵へかたは醴に違(ちがひ)なしと、いゝければ、そばやこたへて、われらが蕎麥なども同じ事にて、箸皿をあらふは、小便をなせるどぶの水の淸き所を用ひる由を語り、中にも田樂屋は親方掛りと見へて、我等が田樂は右體(てい)の事はなし、しかし親方は至てのぜんそく持(もち)にて年老(おい)ぬれば、鼻水をふだん垂(たれ)けがす事なるが、田樂の下ごしらへ味噌の仕立(したて)ともに彼(かの)老人のなす事なれば、鼻水も落、痰水をも落(おと)せどかまわずしてこしらへるを見ては、給(た)べばたべ給へ、我等はいやなりといふを、三人打寄(うちより)て、見ぬ事とはいひながら買ふものは能(よく)たべぬると、咄合(はなしあふ)を聞(きく)に、逆吐(へど)もせんこゝちして可笑(をかし)かりしと、宗英かたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特になし。かなり汚ない話なれば【閲覧注意】食事の前後にはお勧め致さぬ。

・「三雜談可笑事」は「さんざふたんをかしきこと(さんぞうだんおかしきこと)」と読む。

・「文化四年寅」文化四(一八〇七)年は丁卯(ひのとう)であるからおかしい。寅は前年文化三年丙寅(ひのえとら)。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『文化三年寅』と正しいし、以下の訳はこれで採った。因みに「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏。夏の下世話な都市伝説あるが、類話はよく耳にする。岩波版で長谷川氏注にも、中国の笑話集である『笑府』を原話とする『再成餅』所掲話など小咄の作りかえか(鈴木氏)』とある。「再成餅(ふたたびもち)」と読み、安永二(一七七三)年刊の小咄集。

・「芝車町」現在の港区芝車町。底本の鈴木氏注によれば、『古くは牛町といった。江戸中の牛車のセンターともいうべき処で、牛小屋が軒を並べてあった。大木戸の内側』とある。

・「大火におよび」文化三年三月四日芝車町を出火元とする文化の大火。明暦の大火と明和の大火とともに江戸三大大火の一つとされる。丙寅の年に出火したため丙寅の大火、車町火事、牛町火事とも呼ぶ。詳細は「耳嚢 巻之七 正路の德自然の事」に既注。

・「城藝英」最後は「宗英」であるから誤字であるわけだが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版ではともに『芸英』とある。これだと、「うんえい」と読み、如何にも医師の名に相応しい。訳も「城芸英(じょうのうんえい)」で採った。因みに、「藝」と「芸」(くさかんむりは切れる)は全くの別字で、「芸(ウン)」は元来は香草の名で、芸香(うんこう)、くさのこう、バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ヘンルーダ Ruta graveolens を指す(和名ヘンルーダはオランダ語に由来)。ヘンルーダは地中海沿岸地方の原産で、樹高は五〇センチメートルから一メートルほど。葉は青灰色を帯びたものと黄色の強いもの、斑入り葉のものなどがあり、対生する。サンショウを少し甘くしたような香りがある。江戸時代に渡来し、葉に含まれるシネオールという精油成分が通経剤・鎮痙剤・駆虫剤などに利用され、料理の香りづけにも使われていたが、毒性があるとされ、今はほとんどその目的には使われていない。乾燥させた葉を栞として使うと本の虫食いを防ぐと言われ、古くは書斎を芸室(うんしつ)ともいった。ミカン科はラテン語でRutaceaeといい、このヘンルーダ属 Ruta が科を代表する模式属になっているため、かつては日本語でもヘンルーダ科と呼ばれていたが、日本人にとってはヘンルーダより蜜柑の方が身近な植物であるため、一九六〇年代半ばよりミカン科と呼称するようになった(ここはウィキの「ヘンルーダ」に拠る)。これによって「芸」は転じて書物を示す漢字として熟語を作ることが多い。例えば「芸帙(ウンチツ)」「芸編(ウンヘン)」は書物、「芸閣(ウンカク)」「芸臺(台)(ウンダイ)」「芸署(ウンショ)」で書庫や書斎の意となる。「藝」の無体な新字化による「芸」が、本来あった「芸」と同じになって、しかも本来の「芸」を駆逐してしまった新字化のおぞましくも悪しきケースである。

・「四ツ時過九ツ」不定時法で、夏の場合は午後十時半過ぎから午前零時前後までの時間帯となる。

・「水を廻す」甘酒の量が減ってきた際、追加を作るのに水を加えることを指している。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 三人の者の雑談(ぞうだん)の面白き事

 

 文化三年寅の春、芝車町(しばくるまちょう)より出火致いて大火に及び、普段より私の元へ出入り致いて御座った鍼医の城芸英(じょうのうんえい)殿も、これ、神田の屋敷を類焼なされたによって、当座の住むところにも困っておる由を語られたによって、私の元の屋敷で駿河台に御座った長屋を暫く、住居としてお貸し申した。その折りの話で御座る。

「……いや、お借り致いて、まっことありがたきことにて。……そうそう、その長屋につき、面白きことが、これ、御座いましての。……毎夜、長屋の軒下を往来致いては一休み致すところの商人(あきんど)やその他の者どもの、その物語り、これ、まっこと、おかしきことが多御座ればこそ、夏の暑さを凌ぎがてら、かの窓の辺りに立ち寄りますこと、たびたび。……さてもそんなある夜のこと、そうさ、もう四ツ時過ぎ、九ツにもならんかと思う頃のこと、商いもあらかた済みたる様子にて、蕎麦屋と田楽屋と甘酒屋の三人、その長屋の軒下へ荷を下ろし、まず、甘酒屋の申しましたことには、

「最早、仕舞いじゃ。一つ、残る甘酒を一盃ずつ、お呑みなさらんかの?」

言ったところが、蕎麦屋の曰く、

「いや! お前さんとこの甘酒なんぞ、これ、穢のうて、口にすることなど、出来るものか!」

と申したによって、甘酒屋も気色ばみ、

「なにぃ! いかにも茶碗を洗(あろ)うその他のことやら、減った甘酒に水を足す時には、辺りの川堀りの水を、まあ、特に選ぶことものぅ、何処でも汲み取って入れて御座れば……まあ、きれいにてはなけれど、出来上がった甘酒の様子は普通のもんと、これ、いっちょも違(たが)わん!」

と応ずる。

 すると蕎麦屋、答えて、

「……まあ、我らが蕎麦なんども同じことでの、箸や皿を洗うには……小便をひる溝(どぶ)の水の……まんず、きれいなる所を用いるようにしてはおるからに。」

と語る始末。

 すると、それを聴いて御座った田楽屋、三人の中でもこれは親方のある者と見え、

「……我らが田楽はそのようなえげつなき仕儀を致すことは、これ、ない。……しかし、我らが親方は、以ての外の喘息持ちにて、年も相当に老いて御座ったれば、鼻水を、これ、普段から……じゅるじゅる……ぬるぬる……っと垂れ流しては、辺りを汚すこと、これ、多御座ってのぅ……そいで以って、我らが売る田楽の下拵えから味噌の仕立てまで、これ、ともにすべて、かの老人のなすことなれば……いや、その田楽や味噌には……鼻水も落ち……痰などをまで……ぽたぽた……だらだら……っつ落とせど、一向に気にせずに拵えておるのを見てはのぅ。……まあ、この残りの田楽、食べるんならお食べ!……おいらは、まっぴら、ご免じゃ!……」

とのたもうて御座いました。

 しこうして、三人打ち寄り、

「……いやはや……人に見えぬこととは言いながら……買ふ者とては……これ、よう……食べるもんで御座るのぅ。……」

と、囁き合(お)うて御座ったを、その窓内にて、こっそり聴いて仕舞いました。……ゲロをも吐かん心地致すとともに、また、なんともおかしき気も込み上がって参りまして御座いました。……」

と、芸英殿の語って御座った話。

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