萩原朔太郎 短歌六首 明治三八(一九〇五)年十二月
夕(ゆう)ざれやもろこし畑(はたけ)吹く風に衣手(ころもで)さむき秋は來にけり
春の夜や歌(うた)に更(ふ)かせし小人(せうじん)の口元可愛(かわ)ゆき笑(ゑみ)をしぞ思ふ
ほとゝぎす鳴(な)きぬ藤氏(とうし)を語る夜に秀才(しうさい)なれば簾(みす)まきあげよ
梅雨(つゆ)ばれの大河(たいが)流るゝ國(くに)を北(きた)に晝顏(ひるがほ)うゑぬ夢(ゆめ)みる人と
古家(ふるがや)に昨日(きのふ)咲(さ)きたる五月花(さつきばな)つみな玉(たま)ひそ雨降り出でむ
君見れば二條に生ひし街粧(まちづく)り扇もつ手(て)の品(しな)づくりけり
[やぶちゃん注:前橋中学校校友会雑誌『坂東太郎』第四十三号(明治三八(一九〇五)年十二月発行)に「萩原美棹」の筆名で所収された「ろべりや」他二十六首の掉尾を飾る六首連作。当時、朔太郎満十九歳。これらは例えば三首目が「枕草子」の「鳥は」と「香炉峰の雪」に基づく(「藤氏を語る」は後発の「大鏡」の「藤氏物語」に引っ掛けた話しであろう)、一種の時代夢想詠で統一されているように私には見える(但し、総てについての典拠を私は理解している訳ではない。また残念ながら、これらの短歌の印象はそれを探りたいという興味も私には湧かせないものでもある)。
一首目「夕ざれ」の読み「ゆう」はママ。
二首目「可愛ゆき」の読み「かわ」はママ。
五首目は初出では下句が「つみ玉ひそ雨降り出でむ」となっているが、脱字と断じて「な」を補った。底本校訂本文も無論、そうなっている。
六首目「品づくり」を底本校訂本文は誤字として「品つくり」と『訂正』している。私は従えない。]
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