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2014/01/19

杉田久女句集 18 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ

花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ

 

[やぶちゃん注:「いろいろ」は底本では踊り字「〱」。言わずもがな、久女の句の艶を最もシンボライズするヌーヴェル・ヴァーグ風のモンタージュである「花衣」は春の季語で花見に着る晴れ着のこと。大野林火「近代俳句の鑑賞と批評」(明治書院昭和四二(一九六七)年刊)で大野は本句の鑑賞文の中で、久女の作を『不羈奔放、華麗、情熱的で男をたじたじさせるものがある。始終誰かを恋いしないではいられなかったといわれるが、肯かれることだ。万葉の額田王、中国の魚玄機に擬せられる所以であろう』とし、同時期の画期的な女流俳人の中でも長谷川『かな女、久女ともにその作品で優に男に頡頏した作家である』と記す(こうした叙述はある意味で肥大した久女伝説を助長しており、的を射ている部分は部分として、批判的な読みも同時に不可欠であると言いたい)。本句について大野は、『肉体を幾重にも緊繋している紐類だが、それをいま、つぎからつぎへと解き捨ててゆくことに肉体の解放感が思われ、艶麗である。句に詠まれていることは作者の足許にすでに散らばり、また、まだ肉体にまつわり残る紐だが、脱ぐものが花見衣裳であるだけにこの紐類また華麗、肉体の解放感と相俟って艶麗さを一句に与えている。いえばヌード一歩手前であり、女の匂いが濃厚で、つつましやかとは裏腹である』と評している。しかしこの評言、実に男の脂ぎった視線が感じられてなんだかいやらしい。三文の中で「肉体」という語を四度も用い、「緊繋している紐類」という謂いには恰もそれが生々しい猥雑なクリチャーででもあるかのような生理的嫌悪感をさえ私は抱く。最後の一文などは評者自身の中年男性の如何にも猥褻な視線が感じられて、まさに「鑑賞と批評」という「つつましやか」な標題「とは裏腹である」と返したい気がしてくる。]

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