天がける飛鳥かしらずゆかしむは鸚鵡なりにし人の釋迦牟尼 萩原朔太郎
天がける飛鳥(ひちやう)かしらずゆかしむは鸚鵡なりにし人の釋迦牟尼
[やぶちゃん注:『白百合』第一巻第六号(明治三七(一九〇四)年四月発行)の「純文社詩稿」欄に「萩原美棹(前橋)」の名義で掲載された。萩原朔太郎満十七歳。歌意は私には今一つ、不審。因みにヒンドゥ教ならば、インドはタミール族に伝わる伝承で、シヴァとパールヴァティーの息子とされる神カータヴァラーヤンが愛するマーラー姫に逢うために鸚鵡に変じてはいる(詳細なストーリーはブログ「Priyan News & Gossips」の当該神話を映画化した作品についての評「レビュー:Kathavarayan」に詳しい。しかし「釋迦牟尼」では意味が通らぬ。識者の御教授を乞う。]