耳嚢 巻之八 日野資枝歌の不審答の事
日野資枝歌の不審答の事
忍戀(しのぶこひ)の題にて、資枝詠出ありし歌に、
すえついに人もゆるさぬ契あれと思ふが中は猶しのびつゝ
此のとの字、にごりてどと解する人もあり、すみてとなりといふ者、江戸門人の内數多(あまた)論じ合(あひ)ければ、資枝へ承りに遣しければ、其答に、とともど共(とも)解す人の心次第にてよしとの答へなり。門人の意氣をも不折(おらず)、歌の意にも害なき面白き答へなりと人の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:日野資枝(すけき)関連で直連関。
・「日野資枝」前話「耳嚢 巻之八 不計詠る歌に奇怪を云ふ事」の注を参照。
・「不審答の事」一応、「こたへつまびらかならざるのこと」と訓じておく。
・「すえついに人もゆるさぬ契あれと思ふが中は猶しのびつゝ」この「契(ちぎり)あれと」の「と」がそのまま清音で引用の格助詞「と」であると解するなら、未だ事実はその禁断の忍ぶ恋は成就されていない、しかし、それを切望する命令形で、「あれ」かしと思う、がしかしそう現に焦がれている思いは、その成就を望むのならばなおのこと秘やかに隠し通さねば、という意味になるが、普通に行われることが多い濁音の無表記であって「契あれど」と逆接の接続助詞「ど」であるとするならば、その許されぬ恋は実は既に成就している、しかしなお、それは許されぬものであるがゆえに色にしも出してはならぬのだあ、といった解釈になる。孰れであっても歌意としては問題がない。……私ならどっちかって?……それはもう後者に決まってるさぁね ♪ふふふ♪……
■やぶちゃん現代語訳
日野資枝(すけき)殿の和歌に就きての疑義への審らかならざるお答えの事
「忍恋(しのぶこい)」との題詠にて、日野資枝殿が詠み出だされた歌を記したものに、
すえついに人もゆるさぬ契あれと思ふが中は猶しのびつゝ
と御座った。
この「と」の字であるが、濁りて「ど」と解する人もあり、逆に清(す)みて「と」で御座ると申す者もあって、江戸の日野殿のご門人の内にても、これ、頻りに論じ合いとなって御座ったによって、ともかくも資枝殿に直(じか)に承るに若くはなしと諸人決し、人を伺わせてお訊ね申し上げたところが、その答えは、
「――『と』とも――『ど』とも――これ、解さるるお人の――そのお心次第にて宜しゅう――おじゃる――」
とのお答へで御座った。
門人の意気軒昂たる双方の言い分の孰れをも潰すことのぅ、また和歌の意にも、これ、害のなき、まっこと、面白き答えで御座った、と私の知れるお人が語って御座ったよ。
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