『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 海水浴場
●海水浴場
富士見橋を西に渡りて新宿に出で、養神亭と呼減る旅館の下を左りに沿うふて來れば、波の音と名もいと高き逗子の海濱、廣漠としたる海水浴場に出づ。
逗子停車場より此處まで僅々十町足らずの行程、海濱弓形を爲して、西には豆相翠巒煙の如く、富岳の雲表(うんへう)に聳ゆるを仰ぎ右には鎌倉の海濱、遠く大磯小磯打ち越して、小田原に連なるを望むべく、江の島は呼べば應ふるの間近に浮びて、靑松白砂の磯つゞき、干潟三町許(ばかり)、浪(なみ)平穩(おだやか)にしてそこは一面の眞砂(まさご)白く波の洗ふにまかせつ。
濱邊に葭簀(よしず)繞(めぐ)らしたる小屋あり、浴客(よくかく)は此内に衣物懸け置くを例となせり。
偖(さ)て男となく女となく、悉(み)な麥藁笠(むぎわらかさ)を被り、白き肌着を身にまとひて、折りかへる波を避くるもあれば、足を空にして碎くる波を蹴りゆくもあり、水沫(みづあは)を飛ばし合ひて、泳ぎ競べするは、何れかの學生なるべく、板(いたこ)を前にして辛(から)うして泳げるは某華族の姫君にもやあらむ、斯く海士が子のさまを學ぶも、身を健康に保たんと樂(ねが)へばこそ、父は蟹を捕へて持ち來れば、小兒は砂地に池を堀り山を作りて傍目(わきめ)もふらず、時々潮來りて築きし山を洗ひ去れは、小兒はあれよあれよと呼ぶ。
[やぶちゃん注:「十町足らず」凡そ一キロメートル。この冒頭の記述のような迂回路では無理だが、事実現在、最短コースをとれば横須賀線逗子駅から約一キロメートルで逗子海岸に出られる。
「三町許」三二八メートル前後。]
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