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2014/01/06

耳嚢 巻之八 雷の落んとする席に焚火不燃事

 雷の落んとする席に焚火不燃事

 

 文化丑寅の年にやありし、夏中雷つよく、一ツ橋御屋形内(やかたうち)へあまりし事有しが、其折柄(そのおりから)御次の間にて焚火して居たりしが、何程たきてももえざりしかば、亞相公(あしやうこう)御覽有(あり)て、たき火の燃(もえ)ざるは雷のあまる事あるべし、其席を退(の)き候へと、其火を外へうつし、人をも御退(のけ)せ有(あり)しが、果して其席へ雷あまりしと也。世の中に雷のするとき燃火(もえび)するも、かゝる譯ならんかし。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特に感じられない。自然現象に関わる都市伝説級(実際に一ツ橋邸内に落雷があったことを予見した点で)の伝承譚。落雷現象の直前には何らかのイオン変化は起こるのであろうが、そんな変化が起こったら逃げる間もなく落雷しそうな気がする。科学的な論拠はどうなのだろう? 識者の御教授を乞うものである。

・「文化丑寅の年」と続くのは、文化二(一八〇五)年乙丑(きのとうし)と文化三(一八〇六)年丙寅(ひのえとら)。因みに文化は十五年続いたので最後に文化十四(一八一七)年丁丑(きのとうし)と文政元・文化十五(一八一八)年戊寅(つちのえとら)があるが、根岸は文化一二(一八一五)年十一月四日に亡くなっている。因みに、「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏である。

・「あまりし」「日本国語大辞典」によれば、「あまる」(「余る」とは別項立て)で、雷が落ちる、落雷するとあって、現在も岐阜・鳥取・島根・岡山・広島・徳島・香川・愛媛・高知・大分・宮崎各県の一部などに方言として残ることが示されてある。語源説として、「大言海」の『アモル(天降)の転か』を示す。「あもる」(天降)は「天(あま)降(お)る」の変化したもので、天井から地上に降下する、天下るの意、転じて天皇がお出ましになる、行幸される、の謂いとして用いられた万葉以来の古語である(但し、「あもる」自体には現象としての落雷することを指す意や用例はないものと思われる)。

・「焚火」夏場なれば不審であるが、これは小さな炉か器か何かの中で事実、小枝か何かをくべて火を燃やしているものと思われる。最後に書かれているように落雷予知のために当時、比較的普通に行われていた落雷探知器であったらしい。

・「亞相公」一橋治済(はるさだ 宝暦元(一七五一)年~文政一〇(一八二七)は御三卿(ごさんきょう)一橋家第二代。一橋宗尹(むねただ)四男。第八代将軍吉宗の孫。明和元(一七六四)年に家督を嗣ぐ。第十一代将軍家斉(いえなり)の実父であったために家斉は治済を大御所として迎えようとしたが、老中松平定信の反対で実現しなかった。寛政十一(一七九九)年に従二位に昇叙して権大納言に転任後、隠居した(この「亞相」という呼称は以前に注した通り、丞相に亜(つ)ぐの意で大納言の唐名である。以上は主に講談社「日本人名大辞典」に拠った)。文化二、三年の話柄当時は満五十四、五歳である。因みに、偶然とは思われるが、前の火爐の炭つぎ古實の事に登場した公卿伊光が連座した、光格天皇が実父の典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとして定信に拒否された尊号一件は、まさにこの直後に起こっていた。ウィキ尊号一件」によれば、定信は『朝廷に対して尊号を拒否している手前、将軍に対しても同様に拒否をせざるをえなくなり、結果家斉の機嫌を損ね、事件後に松平定信が失脚、辞職する遠因となる』とある。実に面白い。たかが「耳嚢」、されど「耳嚢」、私は自から注をしながら、大いに勉強させてもらっている。まっこと、有り難く存じまする! 根岸殿!

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 雷が落ちようとする場所では焚き火は燃えないという事

 

 文化丑か寅の年で御座ったか、夏中(なつじゅう)、実に強烈な雷がよく鳴り、一ッ橋家御屋敷内(うち)へも大きな落雷が御座った。

 その折りのこと、御次(おつぎ)の間に於いて控えの者が火を焚いて御座ったところ、何度焚いても直に、これ、消えてしまう。それを凝っとご覧になられておられた御主(おんあるじ)一橋亜相公(あしょうこう)治済(はるさだ)殿、

「……焚き火が燃えぬと申すは、これ、雷が落ちる予兆に違いない!――その席を退(の)きて御座れ!」

と、焚きかけた炉火を他の部屋へと移し、御次の間に控えて御座った人々をも、一人残らずお退け遊ばされた。

……と……

――ズッツ! ドオーーーーーーン!

と! 果してその次の間のど真ん中へと雷が落ちたとのことで御座った。

 世の中に於いて雷が頻りに鳴る折りには、夏場の暑い時期にても、火を燃やすという不思議なことがしばしば行われておるは、このような理由があるものであるらしい。

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