日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 39 子どものシャングリ・ラ!
別の小屋では子供達が、穴から何等かの絵をのぞき込み、一人の老人がそれ等の絵の説明をしていた。ここでまた私は、日本が子供の天国であることを、くりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。彼等は朝早く学校へ行くか、家庭にいて両親を、その家の家内的の仕事で手伝うか、父親と一緒に職業をしたり、店番をしたりする。彼等は満足して幸福そうに働き、私は今迄に、すねている子や、身体的の刑罰は見たことがない。彼等の家は簡単で、引張るとちぎれるような物も、けつまずくと転ぶような家具も無く、またしょっ中ここへ来てはいけないとか、これに触るなとか、着物に気をつけるんだよとか、やかましく言われることもない。小さな子供を一人家へ置いて行くようなことは決して無い。彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるもののすべてを見物する。日本人は確かに児童問題を解決している。日本人の子供程、行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本人の母親程、辛棒強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。だが日本に関する本は皆、この事を、くりかえして書いているから、これは陳腐である。
[やぶちゃん注:
「子供達が、穴から何等かの絵をのぞき込み、一人の老人がそれ等の絵の説明をしていた」言わずもがな乍ら、「覗きからくり」
である。レンズ附の覗き穴のある箱の中に、話柄に合わせた名所の風景や絵が擬遠近法で仕掛けられており、口上が話に合わせて紐を引いて操作し、そのレンズで拡大された立体的で写実的な絵が入れ替わったり、移動したりすることで展開する見世物。江戸では単に「からくり」と呼んだ。ストーリー性の高いものでは「八百屋お七」「お染久松」「お栗判官一代記」などを興行した。機械動作であるが擬似的に再現した「博多町家ふるさと館」のそれ、及びその「八百屋お七」の復元(横浜市歴史博物館で実演公開されたもので、そのからくり内の絵は新潟市指定文化財で百年以上前の製作になるものである)がリンク先の動画で見られる。「のぞきからくり」の学術的な変遷史などは、恐るべきマニアックなサイトである細馬宏通氏の「覗きと遠近法」がお薦めである。
「小さな子供を一人家へ置いて行くようなことは決して無い。彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるもののすべてを見物する。日本人は確かに児童問題を解決している。」原文“Little children are never left alone in the house, but are tied to
the back of the mother or one of the older children and have delightful rides,
fresh air, and see everything that is going on. The Japanese have certainly solved
the children problem,”。これは何と……どこのシャングリ・ラか?……]