日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十一章 六ケ月後の東京 6 若者たち / 指物師たち
私は下層民の間で、若い男達がお互の肩に手をかけて歩いているのに気がついた。女の子が、我国の子供達みたいに、小径をピョンピョン跳ねているのは、一度も見たことがない。事実、彼等の木造の履物を以てしては、これは不可能であるらしく思われる。下層民の街頭における一般的行為は、我国の同じ階叔の、すこし年の若い人々のと似ている。
最近私は博物館の為に、陳列館の設計をしている。これは中央に直立した箱がある、二重式陳列箱なのだが、日本人の指物師が、それを了解することを、如何に困難に感じるかは、驚くばかりである。大学の建築技師が私の所へやって来て、私は通訳を通じて、断面や立面を説明するのであるが、最もこまかい細部を繰り返し繰り返し説明せねばならず、これをやり終ると、今度は箱をつくる男が来て、私はまたそれを全部くりかえさねばならぬ。我々がある事物を製図する方法は、日本人の方法とは全然違い、また我々がつくつて貰い度いと思う物は、彼等がかつて造った物や見た物の、どれとも似ていないのだから、彼等が我々の欲する物に就て面倒がり、そして思いまどうのも無理はない。
[やぶちゃん注:既注。上野の文部省教育博物館(現在の国立科学博物館の前身)。]