わが兒(こ) 八木重吉
わが兒と
すなを もり
砂を くづし
濱に あそぶ
つかれたれど
かなし けれど
うれひなき はつあきのひるさがり
[やぶちゃん注:八木重吉は本詩集を刊行した翌昭和元・大正一五(一九二六)年、結核の宣告を受け、茅ヶ崎で療養生活に入ったが翌昭和二(一九二七)年十月二十六日、二十九歳で逝去した。重吉と妻とみとの間には桃子・陽二という二人の子供がいたが、その二人も重吉と同じく結核によって昭和一二(一九三七)年に桃子、昭和一五(一九四〇)年には陽二も相次いで夭逝した。なお、未亡人とみ(登美子)夫人は、後に歌人吉野秀雄に再嫁され、平成一一(一九九九)年に亡くなられている(以上はウィキの「八木重吉」に拠る)。]