中島敦 南洋日記 十二月十九日
十二月十九日(金)
二日來の喘息、愈々面白からず、夜、土方氏方に到り、南方離島記の草稿を讀む、面白し。「プール島(人口二十に足らず)に、パラオより流刑に合ひし無賴の少年あり、奸譎、傲岸、プール島民を頤使す、已に半ばパラオ語を忘る。この少年の名をナポレオンといふと」「無人島へレン礁に海鳥群れ集へること。島に上れば、たちどころに數十羽を手摑みにすべしと。卵も又、とり放題。捕りし鳥共の毛をむしり、直ちに燒きて食するなり」
[やぶちゃん注:「南方離島記」は初版未詳で現在は「久功著作集」(三一書房)でしか読めないらしい。杉岡歩美氏の論文「中島敦にとっての〈南洋行〉――昭和初期南洋という「場」――」の注から孫引き(但し、恣意的に正字化し歴史的仮名遣に変えた)すると、「南方離島記」には以下のように書かれてある。
*
此の遠いパラオの小ナポレオンが、只一人この樣な離島に居る理由が、また香ばしくないのであつて、この、まだ公學校も卒業しない少年が、警察の手にもおへない惡性の窃盗常習の故を以て、この二百哩も離れた、人口十八、九名の離島に流刑に處せられてゐるのである。(中略)他の人達には彼はワカラナイを連發しながらも兎も角日本語でやつてゐるのである。するとパラオ語を使はれると、ずっと氣樂になればプル語が口をついて出るらしい。それにしてもたつた二年ばかりの間に、生まれてから十年間もそれに親しみ、その中にのみ暮した自分達の言葉を、そんな風に忘れてしまふ――のではあるまいが、話しにくくなつてしまふと云ふことが有り得るだろうか。多分それは有り得るのだらう。
*
「プル語」不詳。この不良少年ナポレオンの話は後に中島敦の「環礁――ミクロネシヤ巡島記抄――」で「ナポレオン」という章題で小説化されている(当該作品は青空文庫のこちらで読める)。また、原話と敦の創作との違いについては、洪瑟君氏の論文「ラフカディオ・ハーンの民俗学と中島敦」に詳しい。
「奸譎」「かんけつ/かんきつ」と読む。姦譎とも書き、邪(よこし)まで、心に偽りが多いこと。
「頤使」「いし」と読む。頤指とも書き、文字通り、頤(あご)で指図して思いのままに人を使うこと。
「へレン礁」現在、パラオの南西諸島ハトホベイ州に属するヘレン環礁。現地のトビ語ではホトサリヒエ環礁(Hotsarihie)と呼ばれる。パラオのマラカル港からは凡そ三百キロメートルも離れており、トビ島の東七五キロメートルの位置に存在する。環礁西南部に礁湖に入る水路が存在し、引き潮時にはここから水が流出する。一七六七年に「発見」された。凡そ島長二五キロ、幅一〇キロメートルm礁湖は一〇三平方キロ、浅い珊瑚礁を合わせると約一六三平方キロメートルの面積を持つ。満潮時にはその殆んどが水没するものの、北端の一部は長さ四〇〇メートルほどの細長い島になっており、ヤシも見られ、ここがヘレン島と呼ばれている。現在、ヘレン島は面積が〇・〇三平方キロメートルほどしかない無人島であるが美しい珊瑚礁とここに記されるような多様な海鳥の楽園としても知られ、珊瑚の密猟を取り締まるために警備隊の恒久的宿営地がある(以上は主にウィキの「ヘレン環礁」に拠った)。]
« 虛言への情熱家 萩原朔太郎 | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十一章 六ケ月後の東京 6 若者たち / 指物師たち »

