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2014/01/05

記憶 萩原朔太郎

 

 記憶

 

記憶(きおく)をたとへてみれば

記憶(きおく)は雪(ゆき)のふるやうなもので

しづかに生活(せいくわつ)の過去(かこ)につもるうれしさ。

 

記憶(きおく)に見知(みしら)らぬ波止場(はとば)をあるいて

にぎやかな夜霧(よきり)の海(うみ)に

ぼうぼうと鳴(な)る汽笛(きてき)をきいた。

 

記憶(きおく)はほの白(しら)む汽車(きしや)の窓(まど)に

わびしい東雲(しののめ)をながめるやうで

過(す)ぎさる生活(せいかつ)の景色(けしき)のはてを

ほのかに消(き)えてゆく月(つき)のやうだ。

 

記憶(きおく)は雪(ゅき)のふる都會(とくわい)の夜(よ)に

しづかな建築(けんちく)の家根(やね)を這(は)ひまわる

さびしい靑猫(あをねこ)の影(かげ)の影(かげ)

記憶(きおく)は分身(ぶんしん)のやうなものだ。

 

[やぶちゃん注:底本の「拾遺詩篇」より。『婦人畫報』第二〇八号・大正一二(一九二三)年二月号に掲載された。第二連冒頭「記憶に」はママ。底本校訂本文では「記憶は」に訂されてある。誤字か誤植の可能性が極めて高いが、そのまま示した。同二連二行目「夜霧」の「よきり」の読みもママ。第四連二行目「這(は)ひまわる」もママ。読みが五月蠅いという人のために、一つ残して除去したものを以下に示しておこう。

   *

 

 記憶

 

記憶をたとへてみれば

記憶は雪のふるやうなもので

しづかに生活の過去につもるうれしさ。

 

記憶に見知らぬ波止場をあるいて

にぎやかな夜霧の海に

ぼうぼうと鳴る汽笛をきいた。

 

記憶はほの白む汽車の窓に

わびしい東雲をながめるやうで

過ぎさる生活の景色のはてを

ほのかに消えてゆく月のやうだ。

 

記憶は雪のふる都會の夜(よ)に

しづかな建築の家根を這ひまわる

さびしい靑猫の影の影

記憶は分身のやうなものだ。

 

   *]

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