記憶 萩原朔太郎
記憶
記憶(きおく)をたとへてみれば
記憶(きおく)は雪(ゆき)のふるやうなもので
しづかに生活(せいくわつ)の過去(かこ)につもるうれしさ。
記憶(きおく)に見知(みしら)らぬ波止場(はとば)をあるいて
にぎやかな夜霧(よきり)の海(うみ)に
ぼうぼうと鳴(な)る汽笛(きてき)をきいた。
記憶(きおく)はほの白(しら)む汽車(きしや)の窓(まど)に
わびしい東雲(しののめ)をながめるやうで
過(す)ぎさる生活(せいかつ)の景色(けしき)のはてを
ほのかに消(き)えてゆく月(つき)のやうだ。
記憶(きおく)は雪(ゅき)のふる都會(とくわい)の夜(よ)に
しづかな建築(けんちく)の家根(やね)を這(は)ひまわる
さびしい靑猫(あをねこ)の影(かげ)の影(かげ)
記憶(きおく)は分身(ぶんしん)のやうなものだ。
[やぶちゃん注:底本の「拾遺詩篇」より。『婦人畫報』第二〇八号・大正一二(一九二三)年二月号に掲載された。第二連冒頭「記憶に」はママ。底本校訂本文では「記憶は」に訂されてある。誤字か誤植の可能性が極めて高いが、そのまま示した。同二連二行目「夜霧」の「よきり」の読みもママ。第四連二行目「這(は)ひまわる」もママ。読みが五月蠅いという人のために、一つ残して除去したものを以下に示しておこう。
*
記憶
記憶をたとへてみれば
記憶は雪のふるやうなもので
しづかに生活の過去につもるうれしさ。
記憶に見知らぬ波止場をあるいて
にぎやかな夜霧の海に
ぼうぼうと鳴る汽笛をきいた。
記憶はほの白む汽車の窓に
わびしい東雲をながめるやうで
過ぎさる生活の景色のはてを
ほのかに消えてゆく月のやうだ。
記憶は雪のふる都會の夜(よ)に
しづかな建築の家根を這ひまわる
さびしい靑猫の影の影
記憶は分身のやうなものだ。
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