萩原朔太郎 短歌三首 大正二(一九一三)年四月
にを蒔くひめひぐるまの種を蒔く君を思へと涙してまく
なにごとも花あかしやの木影にて君まつ春の夜にしくはなし
うちわびてはこべを摘むも淡雪の消なまく人を思ふものゆゑ
[やぶちゃん注:『朱欒』第三巻第四号(大正二(一九一三)年四月発行)の「暮るる日の雪」欄の「その十一」に「萩原咲二」名義で掲載された。朔太郎満二十六歳。
一首目は初出では「ひめひぐるま」が「ひめぐるま」となっている。校訂本文に準じて脱字と断じて訂した。「ひめひぐるま」の「ひぐるま」は「日車」でヒマワリの別称であるから、同属の観賞用小型品種を指すか。
前の投稿から二年の空隙がある。但し、底本年譜にはこの間の大正元・明治四五(一九一二)年の十月に「峽灣」という歌群があることを記すが、そこには『未詳』とあり、これは底本全集編集時に未入手であることを指している。なお、老婆心乍ら、『朱欒』は「ザンボア」と読み、北原白秋編集になる文芸雑誌である。明治四四(一九一一)年十一月から大正二(一九一三)年五月まで十九冊を刊行、後期浪漫派の活躍の場となった(大正七年一月に発刊された改題誌『ザムボア』は短命で同年九月に廃刊している)。
年譜を見ると、この年二月に大磯・小磯に遊び、また平塚の病院に人を訪ねた、と記す。その後に編者注として、平塚の佐々木病院に『昔知れる女友の病むときいて』訪ねたところ、同女は既に『此の世から消えてしまつたのである』という「ソライロノハナ」の『一九一一、二』のクレジットを持つ「二月の海」の「平塚ノ海」の冒頭の一節を引いている(年譜の引用には一部表記に問題があるので引用形態をとらなかった。なお、リンク先は私がオリジナルに作った電子テクストである)。ここには実際の朔太郎の永遠の恋人エレナのモデルとされる、朔太郎の妹ワカの友人で本名馬場ナカ(仲子とも 明治二三(一八九〇)年~大正六(一九一七)年五月五日享年二十八歳)の死との大きなタイム・ラグが存在する。これについて不学な私は現在、読者を納得させるべき知見を持たないが、人妻(明治四二(一九〇九)年に高崎在の医師(佐藤姓)に嫁している)であり、死病であった結核に罹患していたことを念頭におけば、そのトラウマが引き出したところの「永遠のエレナ」と「詩人萩原朔太郎」との物語の時間的齟齬は、不思議に感覚的には不審と思わないことを述べておきたい。同時にエレナについて詳しい識者のご教授を乞うものでもある。ただこの短歌群によって少なくとも、「ソライロノハナ」の創作的虚構的時間を遡ったように見受けられるエレナ/ナカへの詩人の感懐そのものは、決して虚構ではなかったことがはっきりと分かるのである。]