大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 蝦
蝦 河海ニ多シ河蝦大ニシテ足ノ長キアリ海ヱヒヨリ味ヨシ
杖ツキヱヒト云山州淀川ノ名産也凡ヱヒハ腹外ノ水カキ
ノ内ニ子アリ蟹モ腹ノ外ニ子アリ海中ニヱヒ多シ凡蝦ニ
ハ毒アリ不可多食瘡腫及痘疹ヲ患ル者勿食久シテ
味變シタル尤毒アリ雷公曰無鬚者及煮熟反テ白キ
者有大毒〇靑蝦長一寸許海草ノ内ニ生ス有毒不
可食雞食之必死ス
〇やぶちゃんの書き下し文
蝦〔えび〕 河海に多し。河蝦〔かはえび〕、大にして足の長きあり、海ゑびより味よし。杖つきゑびと云ふ。山州淀川の名産なり。凡そゑびは腹外の水かきの内に子あり。蟹も腹の外に子あり。海中にゑび多し。凡そ蝦には毒あり、多食すべからず。瘡腫〔さうしゆ〕及び痘疹〔とうしん〕を患へる者、食ふ勿れ。久しくして味變じたる、尤も毒あり。雷公曰く、「鬚の無き者及び煮熟〔にじゆく〕して反つて白き者、大毒有り。」と。靑蝦〔あをえび〕、長さ一寸許り、海草の内に生ず。毒有り。食ふべからず。雞〔にはとり〕、之を食へば必ず死す。
[やぶちゃん注:「蝦」節足動物門 Arthropoda 甲殻亜門 Crustacea 軟甲(エビ)綱Malacostraca ホンエビ上目 Eucarida エビ(十脚)目 Decapoda に属する生物の内、異尾(ヤドカリ)下目 Anomura(Anomala)とカニ(短尾)下目 Brachyura を除いた生物群の総称であるエビについては、他に私の電子テクストである寺島良安の「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰕」本文及び私の注をも参照されたい。
「河蝦」エビ(十脚)目エビ(抱卵)亜目コエビ下目テナガエビ上科テナガエビ科 Palaemonidae 若しくはその下位のタクソンテナガエビ亜科
Palaemoninae の内、淡水及び汽水域に棲息する仲間、若しくは淡水産の代表種である同テナガエビ亜科スジエビ Palaemon paucidens を指していよう。但し、後に異名として出す「杖つきゑび」という呼称からは寧ろ、テナガエビ亜科テナガエビ属 Macrobrachium(狭義には
Macrobrachium nipponense に「テナガエビ」の和名が与えられているが同属には多くの種が含まれる)の方がその呼称にはすこぶる相応しいと考えられる。但し、この呼称は現在では顕著な差別和名として認められないであろう。残念ながら。
「山州」山城国(現在の京都府中南部)。
「蝦には毒あり」一般的なエビ類全般には個体由来の有毒成分はない。過食に依る消化不良、本文にも出る他の病気で免疫力の低下した患者の雑菌やウィルスの経口感染若しくは腐敗毒(これも本文に「久しくして味變じたる」とある)による食中毒や寄生虫症、及び有毒プランクトン摂取によって毒化した個体の摂取、さらには甲殻類アレルギーなどの、稀なエビ食による食中毒の症例や症状を指していると考えておく。
「瘡腫」瘡蓋の出来る腫れ物を広義に指す。
「痘疹」天然痘。もがさ。
『雷公曰く、「鬚の無き者及び煮熟して反つて白き者、大毒有り。」と』の部分は中国の本草書「証類本草」(「経史証類備急本草」。本来は北宋末の一〇九〇年頃に成都の医師唐慎微が「嘉祐本草」と「図経本草」を合してそれに約六六〇種の薬と多くの医書・本草書からの引用文を加えて作ったものだが、後世に手が加えられている)の「巻第二序例下」の「淡菜」の「蝦」の項に全く同一の文が載る。「雷公曰」とあるが、これは中国最古の医学書「黄帝内経(こうていだいけい)」の元となった「素問」などで黄帝が対話する架空の神人である。
「靑蝦」この名と「一寸許り」(約三センチメートルほど)で海産とあるところからは、私などは北海道太平洋岸から根室野付半島までの浅いアマモ場などに棲息する薄緑色を呈する抱卵亜目タラバエビ科モロトゲエビ属ミツクリエビ
Pandalopsis pacifica が頭に浮かんだ。大きさも一~五センチメートルで、成体の体色はすこぶる鮮やかである。但し、無論、ここに記されるような毒性はないし、これは前の「雷公」の注意書きに惹かれて、何らかの本草書からおどろおどろしい怪しげな叙述を引いたとしか私には思われない。なお、アオエビという和名を持つエビは実在するが、これは似ても似つかぬややグロテスクな(と私は思う)抱卵(エビ)亜目異尾(ヤドカリ)下目コシオリエビ上科
Galatheoidea に属する、最近は食用に供されるようになってきたところの、深海性大型種オオコシオリエビ
Cervimunida princeps の仲間である Cervimunida jhoni に与えられているもので本記載とは無縁である。]