萩原朔太郎 短歌十四首 明治三六(一九〇三)年十二月
その香ゆゑにその花ゆゑに、人は老を、泣きぬ泣かれぬ、こき
うれし身は虫の鳴くごとうたふごと、かごとの宵ぞうつりけらしな。
わざはひは野ゆく山ゆく君により吾によれども淋しともなし。
こほる月にむせぶか千々の草の花。露のさゞめき悲しげなるに。
よろこびに今ぞわがごと
この戀よ、亂れて末は知らなくに、おどろにまとふ紅づたのごと。
うれたくも思はかれつ名はうせつ。吾に笑めとやせまる戀歌。
初秋や雁やそら行く中空に、みつる光は靈のきざしよ。
たゞひとり世をば讚へし子が門に榮えよ、さかえよ花緋木蓮
[やぶちゃん注:『文庫』第二十四巻第六号・明治三六(一九〇三)年十二月に「上毛 萩原美棹」の名義で掲載された。萩原朔太郎満十七歳。圏点は選者服部躬治(既注済)によるもの。一首目の「
『文庫』は明治二八(一八九五)年九月創刊の投稿文芸雑誌(明治四三(一九一〇)年八月終刊。通巻二四四冊)。明治二一(一八八八)年創刊の『少年園』から分かれた『少年文庫』が前身だが、小説・評論・詩・短歌・俳句などの新人育成の場として勢力を持つようになり、特に詩人や歌人にはこの雑誌を登龍門として後に一家をなした者の数は夥しい。『文庫派』の別称を持つ河井酔茗・伊良子清白・横瀬夜雨・塚原山百合(後の島木赤彦)らを初めとして北原白秋・窪田空穂・三木露風・川路柳虹らの大家を輩出した雑誌であった(ここは平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]