篠原鳳作句集 昭和五(一九三〇)年一月~三月
昭和五(一九三〇)年
凧くるわの空に唸り居り
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「凧」は「いかのぼり」と読む。]
宮裏の一樹はおそき紅葉哉
[やぶちゃん注:『天の川』(同年一月号)に最初に掲載された句。以上二句は一月の発表(前句は『京鹿子』初掲載句)。
以下は二月の創作や発表作。]
園長の來て凍鶴に佇ちにけり
莖桶に立てかけてある箒かな
[やぶちゃん注:「茎桶」大根や蕪などを茎や葉と一緒に塩漬けにする茎漬けを造るための桶のこと。]
秋の蝶とぢてはひらく翅しづか
燈臺の日蔭の麥を踏みにけり
[やぶちゃん注:「燈臺」は底本では「灯台」。筑摩書房「現代日本文学全集 巻九十一 現代俳句集」に載る連作五句の前書「燈臺守よ」に拠った。]
籾莚踏み處なくほされたり
麥門冬の實の紺靑や打ち伏せる
麥門冬の實の流れ來し筧かな
[やぶちゃん注:「麦門冬」は「ばくもんどう」と読み、本来は漢方薬に用いる日本薬局方に収録された生薬の一つで、単子葉植物綱クサスギカズラ目クサスギカズラ科スズラン亜科ジャノヒゲ Ophiopogon japonicas の塊茎(ところどころ太くなった紡錘形を成す)を乾燥させたもののこと。強壮・解熱・鎮咳作用を持ち、気管支炎・気管支喘息・痰の切れにくい咳に効く麦門冬湯(ばくもんどうとう)、月経不順・更年期障害・足腰の冷えに効く温経湯(うんけいとう)、心臓神経症・動悸・息切れに効く炙甘草湯(しゃかんぞうとう)などに含まれている(主に講談社「漢方薬・生薬・栄養成分がわかる事典」に拠った)。但し、ここはその植物体ジャノヒゲそのものを指している。高さ十センチメートルほどで細い葉が多数出る。この葉が竜の髯・蛇の鬚に似ていることから、リュウノヒゲ・ジャノヒゲと呼ばれたとも言われるが、実はこれは「尉(じょう)の鬚」の意で、能面の老人の面「尉(じょう)」の鬚(あごひげ)にこの葉を見立てた「ジョウノヒゲ」が転訛し、「ジャノヒゲ」になったというのが真説らしい。夏に総状花序に淡紫色の小さい花をつけ、子房は種子を一個含むが、成熟前に破れて種子が露出し、青く熟し、鳳作はまさにこの状態を詠じている(以上はウィキの「ジャノヒゲ」を参照した)。]
横むいて種痘のメスを堪えにけり
[やぶちゃん注:因みに種痘は天然痘撲滅を受けて昭和五一(一九七六)年以降、本邦では一般には行われていないから、この光景も四十代より下の世代にはピンとこないであろう。]
草餠や辨財天の池ほとり
[やぶちゃん注:「餠」は底本は「餅」。実際にはこの「餠」という正字を使う小説家や俳人は少ないという事実だけは述べておく。確信犯である。私は「餅」という字というより「并」という字が生理的に嫌いなのである。これは「幷」と書くべきである。]
追儺豆闇をたばしり失せにけり
古利根や洲毎洲毎の花菜畑
[やぶちゃん注:「花菜畑」は「はななばた」であろう。回想吟か。無論、菜の花乍ら、この利根の光景は私には明治三九(一九〇六)年に「ホトトギス」に発表した伊藤左千夫「野菊の墓」の一場面のように見紛う――というより、その映画化された、昭和三〇(一九五五)年に公開された木下惠介監督作品「野菊の如き君なりき」(松竹)のプロローグとエピローグの笠智衆扮する政夫老人のシークエンスのように思われてならないのである。]
潰えたる朱ケの廂や乙鳥
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「乙鳥」は「つばくらめ」と読む。「朱ケの廂」(あけのひさし)というのは寺院か何かで、「朱」(しゅ)を塗った垂木を持った毀った廂部分のアップと、そこに巣食った喉赤き燕の動の景と私は詠む。一読即廃寺を私はイメージしたが、二句後の句が同時詠とすれば、これは外れということになる。]
火の山はうす霞せり花大根
[やぶちゃん注:これは恐らく桜島であろう。]
方丈の緣に干しあり蕗の薹
椽先にパナマ編みゐる良夜かな
[やぶちゃん注:「椽先」は縁先に同じい。「パナマ」パナマ帽。パナマ草の若葉を細く裂いて編んだ紐で作った夏帽子。パナマ草は単子葉植物綱ヤシ亜綱パナマソウ目パナマソウ科 Cyclanthaceae に属し、ヤシに似た葉を持つ。主に熱帯に産し、凡そ十二属百八十種を含む。この内のパナマソウ Carludovica palma がパナマ帽(この帽子の発祥は実はパナマではなくエクアドルで、「パナマ帽」の名称由来はパナマ運河であるとする説が強く、「オックスフォード英語辞典」では「一八三四年にセオドア・ルーズヴェルトがパナマ運河を訪問したときから一般に広まった」としている。ここはウィキの「パナマ帽」に拠る)の材料であったために同類総体の植物にも「パナマソウ」の名がついたという。自生種は熱帯アメリカと西インド諸島に分布し、高さ一~三メートルほど、大きな団扇状の葉が広がる。花はサトイモ科に似、果実は熟すと剥け落ちて朱赤色の果肉が現れる。葉を天日で乾燥させ、さらに煮沸した後に漂白したものをパナマ帽の材料とする(ここは「Weblio 辞書」の「植物図鑑」の「パナマソウ」に拠った)。後に宮古島に中学教師として赴任する鳳作は、そこでもパナマ編みを親しく見、盛んに作句している。この句も実は沖繩で詠まれたものではないかと、実は疑っている(実際に四句後には「首里城」の前書を持つ句が出現する。同句注も参照されたい)。私には鳳作といえば「パナマ」、それがまた彼の亜熱帯無季俳句(亜熱帯に所詮季語は通用しない。――この温暖化によって亜熱帯化し、人為によってテッテ的に自然のままの季節が破壊され尽くした感のある今の日本にも――である)のシンボルにもなっていると勝手に思っているのである。]
摘草の湯女とおぼしき一人かな
温室をかこむキヤベツの畠かな
古庭やほかと日のある木賊の莚
[やぶちゃん注:「木賊の莚」は「とくさのむしろ」では如何にもで、「とくさのえん」もいけない。私は敢えて木賊で編んだ莚、茣蓙で「ざ」と読みたくなるのだが。大方のご批判を俟つ。]
首里城
城内に機音たかき遲日かな
[やぶちゃん注:鳳作の姉幸は那覇市の歯科医に嫁いでいた。即ち鳳作は宮古に赴任する以前に沖繩に親しんでいたのである。……ああ……タン、タン、という機音と……今はなき素朴な首里城の景観が幻視される……
ここまで昭和五(一九三〇)年の一月から三月までの創作及び発表句。]