橋本多佳子句集「海燕」 昭和十年 月見草
月見草
卷き雲が尾をひき並び夕燒けぬ
月見草地の夕燒が去りゆきぬ
月見草雲の夕燒が地を照らす
高波のくだくる光り月見草
月見草闇馴れたれば船見ゆる
[やぶちゃん注:これらの「月見草」は、他対照とのパースペクティヴを句の眼目とする四句の内でも、特に「高波の」と「月見草闇馴れたれば」の二句の視線の高さから見て、黄色の知られた双子葉植物綱フトモモ目アカバナ科Onagroideae 亜科 Onagreae 連マツヨイグサ属 Oenothera のマツヨイグサ Oenothera stricta 又はオオマツヨイグサ Oenothera erythrosepala 以外には考えられないが(グーグル画像検索「Oenothera stricta」及び「Oenothera
erythrosepala」)、私は秘かに私の偏愛してやまない白いツキミソウ
Oenothera tetraptera 以外に多佳子に最も相応しい花はないと、かねがね秘かに思っていることをここに告白しておきたい(グーグル画像検索「Oenothera
tetraptera」)。そうして……そうして私は白い月見草といったら、これを書かずにはいられないのだ……「鬼城句集 夏之部 宵待草の花」でも書いたが、やっぱり書かずにはいられない……私の古い家の猫の額ほどの庭にはかつて、この真っ白なツキミソウ
Oenothera tetraptera の群落があって、夏、十数輪の花を咲かせては独身の頃の孤独な泥酔した僕を待っていてくれたものだった……しかし……ある夜、彼女に逢うのを楽しみに帰ってみると……群落そのものが移植ごて綺麗に根こそぎ(明らかに根を傷つけぬように計算された緻密で丁寧な一定の深さに抉られてあった)、何者かによって一茎も残さずに持ち去られていたのであった(それが何処の誰であるかは実は知っている。私の家の前の道は本来は私道で、その頃、限られた人物しか通らなかったから。山を越えた向こうに住んでいる、その後の私の家の庭に難癖をつけた園芸通を気取っていた、あのむくつけき中年女に違いないのだ)。…………私はユリィデイスを失ったオルフェのように地べたに膝をついて号泣した――]