杉田久女句集 34 母と寢てかごときくなり蚊帳の月
上阪 一句
母と寢てかごときくなり蚊帳の月
[やぶちゃん注:「上阪」は小倉からの大阪行であろうが、久女の実家は東京であり不審(愛知県西加茂郡小原の義母杉田しげは大正二(一九一三)年に逝去している)。編年式編集の角川書店昭和四四(一九六九)年刊「杉田久女句集」からこの句は大正一四(一九二五)年の句であることが分かり、底本年譜の同年の三月と思しい部分に『実母を訪う』とある。しかし年譜上の記載からも大阪と実母さよの接点は見当たらない。「かごと」(託言。心が満たされずに不平を言う・愚痴をこぼす・嘆くの意の「かこつ」の名詞節「かこちごと」が元)という、(人のせいにしていう)恨み言・不平・愚痴という表現からは、大正九(一九二〇)年八月から腎臓病のために一年ほど東京上野桜木町の実家に戻った際、宇内との離婚問題が起こった(主に久女の実家側かららしい)ものの、翌年七月に小倉に帰っている。その際、実家で母さよから『子供のために辛抱して、夫が俳句を嫌うなら俳句をやめるように説得された』(久女長女石昌子さん編の年譜記載)とあるのは句柄と合致するが、やはり大阪ではないし、角川版の時系列とも齟齬する。]

