ブログ・カテゴリ「山之口貘」創始 / 「思辨の苑」 襤褸は寢てゐる
ブログ・カテゴリ「山之口貘」を創始する。
山之口貘(やまのくちばく 明治三六(一九〇三)年~昭和三八(一九六三)年)は沖繩県那覇区(現在の那覇市)東町大門前出身の詩人。
私は十八の時に彼の詩に巡り合って以来、高校国語教師時代も一貫して、「鮪に鰯」の原水爆のアイロニィや「弾を浴びた島」で彼が痛感した沖繩への思いを詩を通して紹介朗読してきた。
まずは全詩集の電子化を目指す。底本は一九七五年思潮社版「山之口貘全集 第一巻 全詩集」を用いるが、私のポリシーに則り、戦前の二詩集「思辨の苑」及び「山之口貘詩集」については恣意的に正字化して示す(底本は新字化した旨の注記がある。私は両詩集の原本は所持しないので「恣意的に」と述べた。私の特に俳句に於ける正字化の私の確信犯的ポリシーについては私の「やぶちゃん版鈴木しづ子句集」の冒頭注に私の拘りの考え方を示してある。疑義のある方は必ずお読み頂きたい)。私の中にあるバクさんへの思いからタイピングで電子化する。誤植と思われるものがあった場合は、御指摘下さると幸いである。一部に私の注を附す。なお、私は「縄」という新字体が生理的に嫌いなので私自身の叙述では一貫して「繩」を用いるのでご注意あれ。また、私は沖繩方言に限らず、方言を外来語のようにカタカナ書きするのを生理的に激しく嫌悪する人間である。従って私の記述では概ね平仮名書きとなっていることも最初に申し上げておく。藪野直史【2014年2月14日 我が57歳の誕生日の前日に】
【2014年5月30日追記】新たに思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」との対比検証を開始した。但し、当該新全集第一巻は詩集「思辨の苑」については初版を底本とせず、著者が決定稿と見做していた「定本 山之口貘詩集」を底本としていることから、本文校訂の校合対象とはせずに注記に留めてある。その異同の内、繰り返し記号「ゝ」「ゞ」の正字化が「定本 山之口貘詩集」では多くなされているが、これは詩内容の改稿とは私は考えないので、その異同注記については総て省略している。なお、注で「思辨の苑」「山之口貘詩集」所収の詩で「定本 山之口貘詩集」で有意な改変がある場合は全詩を再掲するが、そこでもやはり恣意的に正字化しているので注意されたい。この対比検証は随時、行ってゆく。既に旧全集第一巻所収の詩は総てこのブログの「山之口貘」でその電子化を終っているが、注がなかったり、対比検証による追加を示した注追記がないものはこの新たに開始した対比検証が終わっていないことを意味するので、注意されたい。
【二〇二四年十月十四日追記・改稿】佐藤春夫の著作権は既に現在は満了しているので、本日、ブログに国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここ)、ここに電子化した。これを皮切りとして、以下の旧電子化を、先に記した初版本で、正規表現に正す作業を開始することとする。注も再考証し、手を加えるが、その修正の断りは五月蠅いだけなので、改稿した場合でも、追記注はしない。以下は扉の標題部で、ここ。なお、原本では標題が太字のように見えるが、これは活字が大きいために、黒インクがくっきりと印字されているに過ぎないので、太字にはしていない。一方、句読点の後が、明らかに、一字分弱空きがある。半角で入れても、私のブログでは空隙としては見えないため、全角で挿入した。この注意書きは、毎回、それがあるところに出すのは面倒なので、ここだけにする。悪しからず。]
山之口 貘
詩集 思 辨 の 苑
[やぶちゃん注:山之口貘の処女詩集である「思辨の苑」初版本は昭和一三(一九三八)年八月一日巌松堂「むらさき」出版部から出版された。表紙はここ。暗い赤。上方に右から左に、「思辨の苑」と詩集名を記す。その下中央に、沖縄のシーサーが、黒で描かれてある(裏表紙は特に記名・マーク等はない)。詩集冒頭には「序文」という総標題のもとに連続した佐藤春夫(クレジットは一九三三年十二月二十八日夜)と金子光晴(クレジットは一九三五年七月)の序文があるが、孰れも金子の「日本のほんとうの詩は」(序文標題はここで改行してある。ここ)では著作権が存続しているため、省略する。以下の詩篇は新底本のここ。]
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襤褸は寢てゐる
野良犬・野良猫・古下駄どもの
入れかはり立ちかはる
夜の底
まひるの空から舞ひ降りて
襤褸は寢てゐる
夜の底
見れば見るほどひろがるやう ひらたくなつて地球を抱いてゐる
襤褸は寢てゐる
鼾が光る
うるさい光
眩しい鼾
やがてそこいらぢゆうに眼がひらく
小石・紙屑・吸殼たち・神や佛の紳士も起きあがる
襤褸は寢てゐる夜の底
空にはいつぱい浮世の花
大きな米粒ばかりの白い花。
[やぶちゃん注:初出は昭和一五(一九四〇)年八月の『蝋人形』第十一巻第六号(但し、松下博文氏の「稿本・山之口貘書誌(詩/短歌)」(PDFファイル)によると、この雑誌の発行は七月一日とある(以下、注に示した初出データはこれに拠った。以降はこの注を略す)。七月一日発行とある。発行所は東京市淀橋区柏木の「蝋人形社」)で、戦後、昭和三二(一九五七)年九月十五日附『琉球新報』にも再掲されている。
底本の「詩集校異」冒頭には、昭和三三(一九五八)年七月原書房刊の「定本山之口貘詩集」は十二篇の新作に本詩集「思弁の苑」を再録した昭和一四(一九四〇)年刊「山之口貘詩集」の再版であるが、著者自身によって誤字誤植の訂正、句読点と繰り返し符号の除去及び若干の行替えと表記の訂正が施されているとあり、その主なものが校異リストとして示されてある(それらは新字体を採用しているものと思われるが、ここでは敢えて正字化して示した。以後は単に校異のみ示し、以上の詳細解説は略す)この詩の場合、七行目が、
見れば見るほどひろがるやう ひらたくなつて 地球を抱いてゐる
と改稿されている。]
【2014年5月30日注全面改稿】
[やぶちゃん注:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の松下博文氏の解題によると(以下、注に示した初出データはこれに拠った。以降はこれを略す)、初出誌はない模様である。詩集刊行後は昭和一五(一九四〇)年三月十八日刊の萩原朔太郎編「昭和詩鈔」(冨山房)に同じく本詩集の「鼻のある結論」「來意」と合わせて三篇が収録され、その後の昭和一五(一九四〇)年七月一日発行の『蝋人形』第十一巻第六号(同雑誌の発行所は東京市淀橋区柏木の「蠟人形社」)に『思辨の苑より』として採録、戦後の昭和三二(一九五七)年九月十五日附『琉球新報』にも再掲されている。「昭和詩鈔」は萩原朔太郎が編集した唯一のアンソロジーで、筑摩書房版萩原朔太郎全集(昭和五四(一九七九)年刊)の年譜によれば、前年の昭和一四(一九三九)年『九月ころから編集に着手、四十七詩人の作品一八〇篇を收錄。編集に際して、朔太郎は收錄詩人あてに自筆書簡を出して作品を集め、卷首の「序言」および卷末の評論に少なからぬ努力をした』とある。
一九七五年思潮社版「山之口貘全集 第一巻 全詩集」の「詩集校異」冒頭には、昭和三三(一九五八)年七月原書房刊の「定本山之口貘詩集」は十二篇の新作に本詩集「思辨の苑」を再録した昭和一四(一九四〇)年刊「山之口貘詩集」の再版であるが、著者自身によって誤字誤植の訂正、句読点と繰り返し符号の除去及び若干の行替えと表記の訂正が施されているとあり、その主なものが校異リストとして示されてある(それらは新字体を採用しているものと思われるが、ここでは敢えて正字化して示した。以後は単に校異のみ示し、以上の詳細解説は略す)この詩の場合、七行目が、
見れば見るほどひろがるやう ひらたくなつて 地球を抱いてゐる
と改稿されている(字空きは表記通り、半角)。
但し、新全集(後の「定本 山之口貘詩集」を底本としている)では、この部分が、
見れば見るほどひろがるやうひらたくなつて地球を抱いてゐる
となっており、また最終行は、
大きな米粒ばかりの白い花
で、句点が除去されている。気になるのは、この新全集の七行目が、寧ろ、非常に読み難くなっていると言える点である。]