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2014/02/26

生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 四 精蟲 (2)屈んだホムンクルスのいる風景

Mukasinoseisinozu
[昔の精蟲の畫]

  その後さまざまの動物の精液を調べて見ると、いずれにもかならず無數の精蟲が游いで居るので、これは偶然に入り込んだ寄生蟲ではなく、精液には必ず含まれて居る一要素であらうと考へるに至つた。動物が卵を産むことも、卵に精液が加はると卵が孵化し發育することも前からわかつて居たが、精液中に蟲の如きものが常に無數に游いで居るのを見ると、卵を孵化するに至らしめるものは精液の液體であるか、またはその中の精蟲であるかといふ疑問が生じた。そこでこの疑を解決するために、イタリヤのスパランザニといふ熱心な研究家が次の如き試驗を行つた。まづ一つの器に水を盛り、その中に雌の蛙の體内から取り出した成熟した卵を澤山に入れ、別に雄の蛙の體内から取り出した精液を濾紙で濾して精蟲を除き去つた液だけを加へて見た。所が精蟲を含んだまゝの精液を加へると卵は悉く發育して幼兒と成るが、精蟲を除いた精液を混じたのでは卵は一つも發育せず、悉くそのまゝに死んでしまつた。この實驗で、精蟲なるものは精液中の最も主要な部分で卵を孵化するに至らしめるのは全くその働によることが明になつた。精蟲のあることを知らぬ間は、子は全く卵から生ずるものの如くに思つて居た所、子の出來るには精蟲が必要であることが明になってからは、急に精蟲に重きを置くやうになり、別して獸類の如き卵の知れぬ動物に於ては、後に子となつて生まれるのは精蟲自身であると考へられ、如何なる動物でも子になるのは雄の精蟲であつて、卵の如きは單にこれにこれに滋養分を供給するに過ぎぬとの説が盛に唱へられるに至つた。即ち女の腹は畠で、男がそこへ種を蒔くものと考へたのであるが不完全な顯微鏡を用ゐ、かかる想像を逞しうして覗いたから、實際精蟲が子供の形に見えたものか、その頃の古い書物には、人間の精蟲を恰も頭の大きな赤子から細長い尾が生えて居る如き形に畫いてある。

[やぶちゃん注:ここに掲げられた知られた精子の絵は精虫論における前成説(卵などの内部には生まれて来る子の構造が既に存在しているという考え方。古くは支配的であったが十八世紀にはほぼ否定された)的主張の典型例で、オランダの科学者ニコラス・ハルトゼーカー(Hartsoeker 一六五六年~一七二五年)が唱えた精子の姿である。頭部に入っているのは錬金術でいうホムンクルス(Homunculus:ラテン語で「小人」の意)である。参照したウィキの「前成説」及び同仏文ウィキの“Théorie de la préformationには加えて、ダレンパティウス(Dalempatius 一六七〇年~一七四一年 十七世紀中葉のフランス人貴族フランソワ・ド・プランタード François de Plantade のペン・ネーム)は一六九九年に『精子の皮膜を脱いで小人が出るのを見たとの報告をしている』とある。孰れのウィキにもここで丘先生の掲げたものと殆ど同じ図が示されてある。……私は不思議にこの図を見ると妙な懐かしさとともに不思議な一抹の淋しい気持ちが過ぎるのを常としている……

「スパランザニ」イタリアの生物学者スパランツァーニ(Lazzaro Spallanzani 一七二九年~一七九九年)。スカンディアーノ生まれ。神学校を経てレッジョ大学・モデナ大学で物理学・哲学などを講じた後、パビア大学自然史学教授となった。J.T.ニーダムらの自然発生説に反対して巧妙な実験技術を駆使した自然発生否定実験を行った。また、発生学の分野においては後成説に反対して前成説に立った。ほかに血液循環やシビレエイの発電に関する生理学的研究などの多くの分野ですぐれた実験的研究を進め、十九世紀の実験生物学の先駆となったが、進化論などの自然観に関わる問題に関しては保守的で機械論的固定的な見解をとった(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]

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