岬 山之口貘
岬
操ではないのよ、と女が言つたつけ
ひらがなのみさをでもないのよ カタガナで ミサヲ と書くのよ、 と女が言つたつけ
書いてあつた宛名の 操樣を ミサヲ樣に書きなほす僕だつたつけ
ふたりつきりで火鉢にあたつてゐたつけが
手が手に觸れて、そこにとんがつてゐたあの、岬のやうになつた戀愛をながめる僕だつたつけ
またはなんだつたつけ
もはや二十七にもなつたこの髯面で
女の手を握りはしたんだがそれでおしまひのはなしだつたつけ。
[やぶちゃん注:貘は前掲の彼の「ぼくの半生記」によって、何人かの女性遍歴が明らかにされているが、この詩に現れた女性は「ミサヲ」という名と、「二十七」という年齢から、貘満二十六歳の昭和四(一九二九)年前後から翌昭和五年にかけて、「ぼくの半生記」の中で、暖房器具の配管工事の助手など、各種の仕事を転々としていた頃、行きつけの喫茶店「ゴンドラ」で知り合った女給(本文では店主を「女将さん」と呼び、彼女を「娘」と呼んでいるが、文脈上では、少なくとも実際の血縁者としての実の娘とは思われない)の「みさお」という人物であることが同定出来る。特に、この「女の手を握りはしたんだが」というシチュエーションは「ぼくの半生記」で、マントの下でこっそり彼女の手を握ったと印象的に描かれてある。貘はこの女性に甘え、彼女のツケは三百円にも達していたと述べている。結局、貘の定職に就かぬ放浪癖が原因で、彼女とは結婚には至らず、恋は破れている(彼女は結婚しないのなら借金は返さなくてよいという考えを持っていた。但し、貘はそれを踏み倒す動機として結婚しなかったわけではない、自分が「いつまでたつても浮浪人であった」から「恋愛がこわれてしまった」とのみ述べている)。面白いのは、それでも貘は相変わらず彼女のいる「ゴンドラ」に通っており、その頃には「すでに娘には、ぼくに代る新しい男が出来ていて、その男はぼくに見せつけるみたいに膝の上に彼女を抱いてみせたりし」たのだが、一向に意に介さず、『ぼくは詩を書き、ぼつぼつ詩集にまとめる準備にとりかかったのである。おもえば昭和十三年に出版したぼくの初めての詩集『思弁の苑』はゴンドラのボックスでその姿を整えたのであった』と記している。
以上の検証からも、ここまでの女性を詠んだ詩は、妻となった安田静江一人ではなく(無論、彼女を詠んだものも当然含まれているに違いないが)、寧ろ、彼の青春時代に遍歴した複数の女性の影を有していると考えた方がよいことが分かる。そもそもが静江との実際婚は友人から紹介されたなり、即決しており、しばしば貘が詩で用いるところの、貘独特の、何か甘えた感じの「戀」とか「戀愛」とかの期間を感じさせないということ、彼の恋愛が、必ず、放浪性と密着して詠まれていること(これは無論、生涯を貫く貘の生得的性質であるが、それは魂の問題であって、実際的放浪性と言えば、やはり静江と出逢う以前の貘の特異点としての属性である)、という二点からも、そう断言し得るものと私は思っている。
なお、この「ぼくの半生記」はまことに面白い。底本全集では六十五頁に及ぶものであるが、他が行わないようであれば、私が電子化したいと思っている。
因みに、原書房刊「定本 山之口貘詩集」では、総ての句読点が除去され、最後の句点を除いて、字空けとなっている。また、二行目は、
ひらがなのみさをでもないのよ カタカナで ミサヲ と書くのよ と女が言つたつけ
と、「カタガナ」が「カタカナ」となっている。
【二〇二四年十月二十日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここ)、正規表現に訂正した。]