『風俗畫報』臨時增刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 森戶の浦
●森戶の浦
西岸堀內海濱の總稱にして前は相模灘を隔てゝ遙かに伊豆の翠黛を相對し、海上數町の處には名島の小島嶼(せうとうしよ)點在し、富岳函嶺悉く眉宇の間に集まり、風光絕佳、個人の咏歌多し、海水浴場の設けあり、舟を浮べて棹(さをさ)すに、危巖潮痕斑らに、亂礁欹つ處石門を形(な)し、巨浪常に其窩を洗ひ、鱗族(りんぞく)簸弄(ひろう)せられて潑溂たるも快。
[やぶちゃん注:何だか小難しい漢語を連ねた妙に気張った文体である。ヘン。何度か訪れたことがあるが(一度は同僚の手伝いで正式許可を受けた上での「生物」の授業の人工放精実験用のウニ採取のために深夜に行った)、現在は後の関東大震災による隆起と戦後の海岸部の開発で、この頃と比べるとかなり変容してしまったと考えた方がよい。
「名島」「なしま」と読む。後掲される。
「數町」一町は約一〇九メートル。名島は約七〇〇メートル沖にある。
「函嶺」箱根の旧別称。
「眉宇」は「びう」で、「宇」は軒(のき)、眉(まゆ)を目の軒と見立てた謂いで、眉の辺り又は眉を指す。
「欹つ」は「そばだつ」と訓ずる。
「簸弄」の読みは「はろう」が正しい。もてあそぶの意。
「潑溂」ここでは、魚の生き生きと飛び跳ねるさまの謂い。]
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