日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十一章 六ケ月後の東京 9 職人たちの仕草 / 薔薇 / キセルガイ / ビワ / 労賃の格安さ / 大久保事件後高官には護衛兵が同行
五月のなかば――あたたかくて、じめじめし、植物はすべて思う存分生長している。我々の庭の薔薇(ばら)は実に見事である。最も濃い、そして鮮かな紅色をしている花は大きく、花弁は一つ残らず完全で、その香といったら、たとえるものも無い。町を歩きながら、私は塀や垣根から、蝸牛(かたつむり)の若干の「種」を採集する。この前の日曜日に、私は学生の一人と植物園へ行って、キセルガイをいくつか集めた。これは欧洲によくある、細長い、塔状渦巻のある只の「属」で、いくつかの「種」がある。ビワと称する果実が、今や市場に現れて来つつある。その形は幾分林檎に似ているが、味は甘く、西洋李みたいで、林檎らしいところは少しも無い。種子が三個、果実全部を充す位大きい(図306)。
[やぶちゃん注:「キセルガイ」原文“Clausilia”。腹足綱有肺目キセルガイ科 Clausliidae の陸棲貝類の総称。私の家の周囲にも幾らもいるが、現在でもこの手の陸棲貝類の研究は海棲貝類に比べると人気の裾野も広くなく、あまり進んでいるとは言えないように思われる。なお、ウィキの「キセルガイ」の「人とのかかわり」の項には、これらの仲間が肝臓の民間薬として使用されていること、『乾燥や飢餓に比較的強く、殻内に入ったまま長期間(数ヶ月以上)生存するため、旅や出征に赴く際に神社の樹から採ってお守りとして持ち歩き、無事帰還したときに再び神社の木に戻す』といった古くからの信仰対象でもあったことなどが記されてあり、興味深い。
「ビワ」バラ亜綱バラ目バラ科ナシ亜科ビワ Eriobotrya japonica。リンゴ(セイヨウリンゴ Malus pumila)は同じナシ亜科に属する。
「西洋李みたいで」原文“plummy”。バラ科サクラ属スモモ亜属セイヨウスモモ
Prunus domestica。今ならプラムとそのまま訳に使うところ。]
いろいろな仕事の労銀が、実に安い。懐中時計修繕人が、私のためにある仕事をしてくれた。彼が五十セントを請求したとしても、私は何等抗議することなく払ったであろうが、而も彼は只の六セントを要求した丈であった。また私の顕微鏡用切断器の捻子(ねじ)が一つ曲ったのを、真直にするのには、二セントかかった丈である。
[やぶちゃん注:「顕微鏡用切断器」原文“section cutter”。所謂、今のミクロトームのことであろう。私は高校時代、生物部でミクロトームの切片作製担当であった。今でも忘れられないのはカエルの脳下垂体のプレパラート化のために頭頂から頸部までをテッテ的に切片化した経験か。こんな猟奇的な体験のある方は、まあ、そう多くはないであろう。]
大久保伯が暗殺されてから、政府の高官達は護衛兵をつれて道を行くようになった。より改進的な日本人達は、この悲劇によって、まったく落胆(がっかり)して了った。何故かといえば、このような椿事が起るのを常とした、封建時代に帰ったように思われるからである。
[やぶちゃん注:大久保利通暗殺事件の段の前注を参照されたい。]