橋本多佳子句集「海燕」昭和十四年 万燈
万燈
春日神社
万燈(まんとう)のしづかなひとのながれにゐる
万燈の裸火ひとつまたたける
油火の火立(ほだち)しづかに霜が降る
[やぶちゃん注:現在の奈良の春日大社(春日神社は昭二一(一九四六)年に春日大社と改称している)の二月の節分の日(二月四日頃)に行われる節分万燈籠であろう(夕刻六時頃に全灯)。公式サイトの節分万燈籠の解説よれば、同神社の燈籠は石燈籠約二千基、釣燈籠約千基の合計約三千基あり、中でも全国で二番目に古い石灯籠とされる伝関白藤原忠通保延二(一一三六)年奉納とする「柚木燈籠」や伝藤原頼通長暦二(一〇三八)年寄進とする「瑠璃燈籠」を始めとして平安末期より今日に至るまでその大半は春日の神を崇敬する人々から家内安全・商売繁盛・武運長久・先祖の冥福向上等の願いをこめて寄進されたもので、特に室町末期から江戸時代にかけては一般庶民や春日講中からのものが多いとあり、『昔は燈籠奉納時、油料も納められ、その油の続くかぎり毎夜灯がともされていましたが、明治時代に入り神仏分離や神社制度の変革で、一旦中断したものの、節分の夜は同21年、中元の夜(8月15日)は昭和4年に再興され、現在の万燈籠の形となりました。しかし、もっと古く室町時代や江戸時代に、奈良町の住人が春日参道で、雨乞い祈祷として万燈籠を行っていました。記録には、興福寺大乗院の尋尊僧正の日記で、今から500年余り前の文明7年7月28日、「祈雨のため、南都の郷民、春日社頭から興福寺南円堂まで、燈籠を懸く」とあり、当時は木の柱に横木をつけ、それに行燈か提灯の様な手作りの仮設の燈籠を懸け行っていたと考えられます。故に浄火を献じて神様に様々な祈願をすることが万燈籠です』とある。]