鬼城句集 冬之部 冬の蘭 水晶宮裏師走の蘭咲けり
冬の蘭 水晶宮裏師走の蘭咲けり
[やぶちゃん注:「水晶宮」水晶宮(The Crystal Palace)は一八五一年(嘉永四年相当)にロンドンのハイドパークで開かれた第一回万国博覧会の会場として建てられた建造物のことを指していよう。ジョセフ・パクストン(Johseph Paxton 一八〇三年~一八六五年)の設計になる鉄骨とガラスで作られた巨大な建物で、プレハブ建築物の先駆ともいわれる。パクストンの設計によれば長さ約五六三メートル、幅約一二四メートルの大きさであった(「水晶宮」という名はイギリスの雑誌『パンチ』のダグラス・ジェロルドによって名づけられたもの)。万博終了後は一度解体されたものの、一八五四年(嘉永七年相当)にはロンドン南郊シドナムにより大きなスケールで再建され、ウィンター・ガーデンやコンサート・ホール、植物園・博物館・美術館・催事場などが入居した複合施設として多くの来客を集めた。一八七〇年代(明治三年から明治十二年相当)代頃から人気に陰りが見え始め、一九〇九年(明治四十二年相当)に破産した。その後は政府に買い取られて第一次世界大戦中に軍隊の施設として利用された後、戦後に一般公開が再開されたが、一九三六(昭和十一年相当)年十一月三十日に火事で全焼、再建されなかった。現在ではロンドン南郊の地名、水晶宮がかつて存在した地にある公園とスポーツセンターにその名が残る(以上はウィキの「水晶宮」に拠った)。鬼城が俳句を始めたのは代書人となった三十歳の頃で、これは明治二八(一八九五)年頃に当たるから、鬼城が本句を詠んだのは既に水晶宮は左前になりかけてから破産するまで、若しくは軍施設から再度一般公開されてからのこととなるが、それでも同パビリオン内の温室の植物園で美しい冬の蘭を咲かせている写真記事が新聞かグラフ誌に載っていたのを見た印象句であろう。「鬼城句集」の刊行は大正六(一九一七)年で水晶宮はその八年前に破産しているから水晶宮の閉鎖記事を鬼城が読んでいてかつて詠んだ本句を追想として自撰したものとも考えられようか。鬼城の句の中では非常に変わった句であることは間違いない。]

