『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 日蔭の茶屋
●日蔭の茶屋
今は昔軍見山の山蔭に些(さゝや)かなる茶店ありき鎌倉より三浦三崎の往還とて、日々(にちにち)往復するもの、此茶店に憩ひて、晝飯をしたゝめける、三崎よりするも鎌倉よりするも、殆むと道程(みち)の中央(なかば)なればにや、誰(た)れ彼となく休憩(やす)むことゝしつ、いつしか隱れなきものにせられつる斯くて海水浴場の開くるに從ひ、純然たる旅館となり、一大宏樓を起す、日蔭の茶屋を知らぬものもなし。
東京或は横濱(はま)より來て、別莊の用意などなき人々は、概ね此茶屋に宿(しゆく)するか、さなくは別項に記したり、養神亭、長者園に投す、此日蔭の茶屋は外國人を迎ふるの準備も聊か整ひ居れば、時たま碧眼紅毛の客を見ることあり。宿泊のみならず、料理も營めば、何のこともなし、手を三ッ鳴らせば、鮮肴佳酒立ろに呼ぶを得べく、凉風攔を吹いて衣袂爲めに濕(うるほ)ひ、前面は開く遠淺の海水浴場、豆相の翠巒煙の如し。
[やぶちゃん注:「軍見山」は「いくさみやま」と読む。鐙摺山のこと。既注。
「日蔭の茶屋」は既注。
「養神亭」は項として前出。
「長者園」の既注で項としては後に出る。
「衣袂」は「いべい」と読む。]
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