士族 山之口貘
士 族
往つたり來たりが能なのか
往つたばかりの筈なのに
季節顏してやつて來る
それが 春や夏らの顏ならまだよいが
四季を三季にしたいくらゐ見るのもいやなその冬が
木の葉を食ひ食ひ こちらを見い見いやつて來る
兩國橋を渡つて來る
來るのもそれはまだよいが
手を振り
睾丸振り
まる裸
裸もまだよい
あの食ひしんぼうが
なにを季節顏して來るのであらうか
第一
ここは兩國ビルの空室である
たまには食つても食ふめしが たまには見ても見る夢が
一から
十まで
借り物ばかり
その他しばらく血の氣を染め忘れた 手首、 足首、 この首など
あるにはあるが僕の物。
[やぶちゃん注:【2014年6月2日:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証により注を全面改稿した】初出は昭和一二(一九三七)年七月号『人民文庫』(発行所は東京市神田区淡路町の人民社)。同誌は昭和一一(一九三六)年三月に武田麟太郎らによって創刊されたプロレタリア文学運動系文芸雑誌。当局の発禁措置や圧力により、昭和一三(一九三八)年一月号を以って終刊した(以上はウィキの「人民文庫」に拠った)。【二〇二四年十月十五日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正した。
原書房刊「定本 山之口貘詩集」では、七行目が、
木の葉を食ひ食ひこちらを見い見いやつて來る
に改稿されており、最終連の後ろから二行目が、
その他しばらく血の氣を染め忘れた 手首 足首 この首など
と読点が除去され、最終行の「あるにはあるが僕の物。」の句点も除かれてある。「木の葉を食ひ食ひ こちらを見い見いやつて來る」の一マス空けのツメはやや読み難くなるものの、音韻上、リズムの連続性からは納得出来る。しかしであれば、対称性の際立つ第四連の「たまには食つても食ふめしが たまには見ても見る夢が」も「たまには食つても食ふめしがたまには見ても見る夢が」とツメるべきであろうと私は思う。
「兩國ビルの空室」はバクさんの随筆にしばしば懐かしい青春の思い出として語られるもので、「両国の思い出の人たち」(昭和三五(一九六〇)年三月十日附『沖繩タイムス』掲載)に、『もう二十年余りも前なのだが』、『両国駅のすぐ際に、両国ビルディングというのがあって、その中に住んでいた。住んでいたとはいっても、そのビルの倉庫とか、空室から安室へと転々としてその日その日を過ごしていたのである』という「兩國ビルの空室」である。この『ビルとの関係は、昭和の四年か五年ごろからのことで、最初は就職のことからそこに住むようになったのであって、両国ビル二階のお灸と鍼の研究所に通信事務員の名目で、住み込みとして働くことになってからである。この研究所は後になってしんきゅうの学校になった』とあるビルである。この辺りの年譜的事実については前の「鼻のある結論」の私の注も参照されたい。この詩はともかくもバクさんの独身時代最後の詩(の一つ)と思われる詩である。]
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