『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 鐙摺古城
●鐙摺古城
小名鐙摺にあり、海岸の孤山なり、高五六丈、山上松あり、今軍見山と云ふ、東麓(とうろく)を木戸際(ぎわ)と唱ふ、三浦義澄の城跡と云傳ふ。
[やぶちゃん注:以下は底本では全体が一字(以下のポイントでは二字)下げで、ポイントが有意に小さい。]
源平盛衰記曰、治承四年、三浦畠山小坪合戰條曰、小太郎伯父の別當に云けるは、其れには東地に懸りてアズスリに垣楯かきて待給へかし、こは究竟の小城なり敵左右になく寄かたし、義盛は平に下て戰はんに、敵弱らは兩方より差はさみ、中に取寵て畠山を討んにいと安し、若又御方弱らば義盛もアブスリに引寵て一所にて軍せんといふ、別當然べきとて、百騎を引分て後のアブスリに陣を取て、左右を見る、さる程にアブスリの城固たる三浦別當義澄爰にて待も心苦し、小坪の戰きひしきなり、つゝけ者共とて道は狹し、二騎三騎づゝ打下ける
[やぶちゃん注:「源平盛衰記」の引用は、後半部に大きな省略がある。前掲「小坪」の私の注の全文引用を参照されたい。]
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