篠原鳳作句集 昭和五(一九三〇)年九月
鬼灯を鳴らしつつ墨すりにけり
はしたなき晝寢の樣をみられけり
大いなる誘蛾灯あり試驗場
端居して闇に向へる一人かな
玉里邸
誘蛾灯築地のすそに灯りたる
[やぶちゃん注:「玉里邸」は旧島津氏玉里(たまざと)邸(現在は鹿児島市管轄の庭園)。鹿児島市の北部丘陵愛宕山の西麓に位置する。島津家第二十七代当主島津斉興(なりおき 寛政三(一七九一)年~安政六(一八五九)年)によって天保六(一八三五)年に造営されたと伝わり、敷地東半部にはかつて主屋建築群が建っていた平坦地があり、「上御庭」と呼ばれる池庭が造られた。一方の西半部は一段低くなっており、「下御庭」と呼ばれる庭園と茶室が造られた。玉里邸の諸建築は明治一〇(一八七七)年の西南戦争で焼失したが、斉興の五男島津久光(文化一四(一八一七)年~明治二〇(一八八七)年)が再築し、明治一二(一八七九)年に棟上した。後の昭和二〇(一九四五)年に太平洋戦争によって茶室・長屋門・黒門を残して建造物は焼失、庭園は灯籠などが破損、昭和二六(一九五一)年に鹿児島市が同邸跡地を買収、昭和三四(一九五九)年に鹿児島市立鹿児島女子高等学校が移転したが、この際、「上御庭」と呼ばれた庭園部は一部を残して校舎及び運動場に改修されたものの、「下御庭」と呼ばれた部分は大きな改変を受けていなかったことから昭和四九(一九七四)年に「玉里邸茶室付庭園」として鹿児島市記念物(名勝)に指定された(以上は「文化遺産オンライン」の「旧島津氏玉里邸庭園」の解説に拠った)。]
枇杷賣の櫻島(シマ)の乙女の跣足かな
烏瓜藪穗おどりて引かれけり
鰯雲月の面てにかかりそむ
かなかなの遠く鳴き居る月夜哉
かなかなの遠く鳴きゐる良夜哉
[やぶちゃん注:前者は底本では『「句会句稿」昭和5・9』の句形とあり、後者は昭和五(一九三〇)年十一月発行の『泉』への投句稿とする。]
十字架もぬぎて行水つかひけり
[やぶちゃん注:本句は「俳句手記」に所収とのみある。本句(次が十月の投句稿であるから九月作とは断定出来ない)と前の「かなかなの遠く鳴きゐる良夜哉」を除き、九月の創作及び発表句。]