篠原鳳作句集 昭和六(一九三一)年十月
那覇にて
ハブ壺をさげて從ふ童かな
高野山
飮食(をんじき)のもの音もなき安居寺
[やぶちゃん注:「安居」は「あんご」と読み、元来はインドの僧伽に於いて雨季の間は行脚托鉢を休んで専ら阿蘭若(あらんにゃ:寺院)の内に籠って座禅修学することを言った。本邦では雨季の有無に拘わらず行われ、多くは四月十五日から七月十五日までの九十日を当てる。これを「一夏九旬」と称して各教団や大寺院では種々の安居行事がある。安居の開始は結夏(けつげ)といい、終了は解夏(げげ)というが、解夏の日は多くの供養が行われて僧侶は満腹するまで食べることが出来る。雨安居(うあんご)・夏安居(げあんご)ともいう(平凡社「世界大百科事典」の記載をもとにした)。この年、鳳作は紀州高野山に於ける俳誌『山茶花』夏行に参加するため近畿地方に旅行しているが、それは年譜によれば八月のことである。とすれば、この安居寺とは狭義の夏安居の時期ではなく、夏安居に相当する暑い夏の静寂に満ちた高野山金剛峯寺のそれを詠じたものであろう。]
十方にひびく筧や安居寺
一方の沙羅の香りや安居寺
[やぶちゃん注:「沙羅」は「さら」若しくは「しやら(しゃら)」と読み、ツバキ目ツバキ科ナツツバキ
Stewartia pseudocamelli の別名である。本邦には自生しない仏教の聖樹フタバガキ科の娑羅樹(さらのき アオイ目フタバガキ科 Shorea 属サラソウジュ Shorea robusta)に擬せられた命名といわれ、実際に各地の寺院にこのナツツバキが「沙羅双樹」と称して植えられていることが多い。花期は六月~七月初旬で、花の大きさは直径五センチメートル程度で五弁で白く、雄しべの花糸が黄色い。朝に開花し、夕方には落花する一日花である(ここは主にウィキの「ナツツバキ」及び「サラソウジュ」に拠った)。]
一痕の月も夕燒けゐたりけり
雨蛙をらぬ石楠木なかりけり
[やぶちゃん注:「石楠木」は「しやくなげ(しゃくなげ)」と読んでよかろう。「石楠花」では花に視点がフレーム・アップしまうのを避けた用字と思われる(但し、シャクナゲをかく表記するのは一般的とは言えない)。
ここまでの六句は十月の発表句。]
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