飯田蛇笏 靈芝 明治四十年(十句)
明治四十年(十句)
花の風山蜂たかくわたるかな
晴嵐に松鳴る中のさくらかな
松伐りし山のひろさや躑躅咲く
草庵の壁に利鎌や秋隣
泉石を外づれる瀧や靑嵐
かりそめに燈籠おくや草の中
無花果の門の格子や水を打つ
此宿や飛瀑にうたす鮓の石
月の窻にものゝ葉裏のほたるかな
雷やみし合歡の日南の旅人かな
[やぶちゃん注:最後の句の「日南」は「ひなみ」か「ひなた」か。国語教師の「めたさん」の『「無理題」に遊ぶ』に『「日南」は「ひなみ」か「ひなた」か―飯田蛇笏の句より』に、この句のこれを「ひなた」と読む根拠が示されてあるが、そこで「めたさん」が根拠となさっておられる「増補決定版 現代日本文學全集」は昭和四八(一九七三)年刊行のもので、編者によるルビ附けでないという確証はないとも私は思うのである。但し、小学館の「日本国語大辞典」の「ひなた」(見出し漢字表記は「日向」)を見ると、例文として尾崎紅葉の「多情多恨」が引用されており、そこには『お種と保との不断着が魚を開いたやうに日南(ヒナタ)に並べて干してある』とあり、私は蛇笏がルビを振らなかったのはやはり普通の読者なら暫く考えた後にやっぱりそう読むであろうところの「ひなた」と読んでいる、と私も考えるものではある。なお、「旅人」は「りよじん(りょじん)」であろう。「雷」(らい)によく呼応する。以上の勝手な解釈には何時でも御批判を俟つ覚悟はある。]