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2014/02/27

歴史資料 飲食店営業許可に係わる警視庁命令書

[やぶちゃん注:以下は私の行きつけの大船の鮨屋「寿司正」の御主人が若き日に修行された新橋「寿司正」の親方の店の営業許可に際しての命令書(原本コピー2種)である。御主人は、親方は既に亡くなられており、現在はこの店は存在しないのでいいでしょうとおっしゃられたが、一応、個人情報に相当する一部にマスキングをしておいた。現代史の風俗的資料(私自身初めて見るものであった)として拝借し、電子化した。電子化に際しては一部の略字を正字化(若しくは新字の最も近いもの)に直した箇所があるが、概ね原本通りとした。一部は推定判読した。]

Meireisyo1_2


Meireisyo2

     命  令  書

      營業所 芝區新橋四丁目三十■番地

      飲食店(すし)佐藤■正

明治二十八年四月警視廰令第八號待合茶屋遊船宿

貸席料理屋飲食店及藝妓ニ関スル取締規則第二

條ノ二ニヨリ左記事項ヲ命令ス

右相違ス

 昭和十年十一月六日

         芝愛宕警察署長

          警視 宮澤文作 (公印)

 

 一、婦女ハ客ノ接待ヲ為ササルコト

 二、客席ノ構造設備ヲ變更セントスルトキハ其ノ三日前迄ニ變更

   要旨並圖面ヲ附シ届出ツルコト

 三、營業種目ヲ變更セムトスルトキハ届出ツルコト

 

■やぶちゃん補注

・「明治二十八年四月警視廰令第八號待合茶屋遊船宿貸席料理屋飲食店及藝妓ニ関スル取締規則」というのは、通称「警八」と呼ばれた明治二八(一八九五)年四月に制定された待合等の営業許可に関わる細目を定めた規則。以下に国立国会図書館蔵「市民法典」から全条を電子化しておく(文字の大きさの違いは無視した。〔 〕はポイント落ちの割注様部分、各條は底本では二行目以降は一字下げ。「改正略符」は底本では(ろ)と(は)の上にある)。

   *

    ●待合茶屋遊船宿貸席料理屋飲食店及藝妓ニ關スル取締規則〔明治二十八年四月廰令第八號〕

    

改正略符(い)三十年十月廰令三十四號

    (ろ)三十八年六月同二十四號

 

    (は)四十二年十月同二十八號

    (に)四十三年四月同二 十 號

第一條 左ノ營業ヲ爲サントスル者ハ族籍住所足業氏名年齡屋號及營業ノ場所ヲ詳記シ所轄警察署又ハ警察分署ニ願出免許ヲ受クヘシ其營業ノ場所ヲ轉スルトキ亦同シ(い)

 一 待合茶屋遊船宿貸席料理屋

 二 銘酒喫茶麥湯氷水其他客席ノ設ケアル飮食店

 三 藝妓屋

 四 芝居茶屋(は)

第一條ノ二 前條ハ其ノ種類ニ依リ家屋ノ構造ヲ制限スルコトアルヘシ(は)

第一條ノ三 目的方法ノ何タルカヲ問ハス他人ノ委託ヲ受ケ若ハ他人ノ名義等ヲ利用シテ物品ノ配付ヲ爲シ又ハ爲サシメ若ハ財物ヲ徴收セシムヘカラス(に)

第二條 營業者公安若クハ風俗ヲ害スルノ虞アリ又ハ他人ニ名義ヲ假スノ事實アリト認ムルトキ警視廰ハ其營業ヲ停止シ又ハ其營業ノ免許ヲ取消スコトアルヘシ(い)

第三條 營業者族籍住所氏名屋號ニ異動ヲ生シ又ハ廢業シタルトキハ五日以内ニ所轄警察署又ハ警察分署ヒ屆出ヘシ(い)

第四條 營業者雇人ヲ雇入レタルトキハ其住所氏名年齡竝前住所職業ヲ詳記シ三日以内ニ所轄警察署又ハ警察分署ニ屆出へし其事項ニ異動ヲ生シタルトキ亦同シ 但シ郡部ハ巡査派出所又ハ巡査駐在所ニ其ノ屆書ヲ差出スコトヲ得(ろ)(は)

第五條 本則第一條第一條ノ三第三條第四條ヲ犯シタル者ハ一日以上三日以下ノ拘留又ハ二十錢以下ノ科料ニ處ス(に)

      附  則

從前ノ營業者ニシテ尚引續キ營業ヲ爲サントスル者ハ來五月三十一日迄ニ本則第一條ノ手續ニ依リ屆出許可ヲ受クヘシ

      附  則(は)

明治四十二年十月二十七日ニ於テ現ニ芝居茶屋營業ヲ營ム者ニシテ尚引續キ營業ヲ爲サムトスル者ハ明治四十二年十一月二十五日迄ニ本則第一條ノ手續ニ依リ家屋ノ構造仕樣及圖面ヲ添附シ屆出認可ヲ受クヘシ

   *

井上章一氏の日本人の男女が愛し合う場所の移り変わりを探る性愛空間の建築史「愛の空間」(角川書店一九九九年刊行)によれば、この規則の第二條にある公安・風俗を害するという表現の内実は賭博と売春の取り締りにあった。この「警八」が出された頃はまさにこの親方の鮨屋のあった新橋界隈では相当に厳しいチェックがあったらしく、同書によれば(以下の引用は恣意的に正字化した)、『近ごろ新橋邊は最とも警八風の吹廻し方烈しく、夫(そ)れが爲め待合茶屋はげっそりと不景氣を感じ』(同一八八五年十二月五日附『朝日新聞』)とあり、他にも『警八風は花柳の巷に吹きすさみて穩かならねば、此の難をさけてデンデンの音に寄りつどう冶郎(やろう)ども近來頗(すこぶ)る多く、娘義太夫の懷冬を知らず』(一八九六年二月七日附『都新聞』)、『警八風情花を散す……待合萬松亭女將大草ふきは、此頃警察令の嚴しきをも懼(おそれ)ず、一昨夜蠣殼町米商某の求めに應じて……兩美形を招きて箕箒の勞を執らしめたる咎に依り、女將と美形とを連ねて其筋に引致せられたり』(一八九六年十二月十二日附『東京日日新聞』)とある。「警八風」の「風」は風俗取り締りのことであろう。また、「デンデン」とは恐らく娘義太夫の義太夫節(「デンデン」は太棹三味線の音)のこと、「箕箒」は「きそう」と読み、「箕箒の妾(しょう)」でここは売春行為を指す(「史記」の「高祖本紀」に基づくが、そこでは本来は掃除女で、ここは、単純に妻とする、という謂いで用いている)。しかし、こうした厳しい取り締りは長続きせず、五年後の『読売新聞』(一八九九年七月三日附)には、『彼の有名なる警八風と稱する警視廰令の發布以來、一時は關係營業者間に非常の恐慌を來せしが、今やはかなく警八令などは誰人も念頭に留めざる有樣にして、爲に待合、船宿其他藝妓抔(など)の取締に就ては、恰(あた)かも有名無實の感ありて、甚だしきは其筋の默許する處(ところ)なりとまで風評するに至り』とまで報じられるほどのザル法に化していた、とある。断っておくが、以上の私の注は本規則の実態を述べたものであって、この親方の店は無論、普通の健全なる鮨屋であることは言うまでもない。

・「右相違ス」「みぎあひたがはず」と訓じているものと思われる。謂わば「以上の通り、相違なし」、守りなさい、という確認の一文である。

・「昭和十年十一月六日」同年の内外の動きをウィキの「1935から抜粋しておく。

 2月10日 築地市場が開場。

 3月16日 アドルフ・ヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄してナチス・ドイツの再軍備を宣言。

 2月18日 菊池武夫が貴族院で美濃部達吉の天皇機関説を反国体的と糾弾。

 4月 6日 満洲国皇帝溥儀が来日し、靖国神社を参拝した。

 4月 7日 美濃部達吉が天皇機関説のため不敬罪で告発される。

 4月 9日 美濃部達吉の「憲法概要」など著書三冊が発禁となるも買手殺到し、書店で売切れとなった。

 6月 7日 有楽座が開場。

 6月10日 梅津・何応欽協定成立(日本軍による華北分離工作の開始)。

 7月 1日 船橋・千葉間省線の電化完成(東京・千葉間全通)。

 7月14日 フランス人民戦線結成。

 8月 1日 警視庁で無線自動車が登場。中国共産党が抗日救国統一戦線を提唱(八・一宣言)。

 8月10日 国体明徴声明が発表される。

 8月12日 陸軍内部の統制派として知られた永田鉄山が暗殺される。

 9月15日 ナチス・ドイツにおいてニュルンベルク法(ユダヤ人公民権停止・ドイツ人との通婚禁止)が制定され、ハーケン・クロイツ旗が正式なドイツ国旗とされる。

 9月30日 和辻哲郎の「風土 人間学的考察」が出版される。

10月 3日 イタリアがエチオピアへ侵攻を開始(第二次エチオピア戦争)。

10月 6日 大阪市営地下鉄御堂筋線の梅田駅本駅が開業(30日には心斎橋駅 - 難波駅間が開業)。

10月21日 ナチス・ドイツが国際連盟を脱退。

11月26日 日本ペンクラブが発足(初代会長島崎藤村)。

11月28日 土讃本線三縄―豊永間が開通(最後の「陸の孤島」高知県が鉄道で結ばれる)。

12月 8日 関東軍支援の下に李守信軍がチャハル省に進軍。大本教教祖出口王仁三郎と幹部三十余名が不敬罪・治安維持法違反で検挙される(第二次大本事件)。

・「芝愛宕警察署」現在の東京都港区新橋六丁目十八番十二号にある警視庁管轄になる愛宕警察署。現在の同署は港区の東北部を管轄し、管内には東京タワーやオランダ大使館・日本テレビやテレビ東京の本社ビル・世界貿易センタービルなどの施設がある(当署横には機動捜査隊の拠点として各種犯罪対策を担っている)。管轄地域は港区芝地域の一部で東新橋一・二丁目(全域)、新橋一・二・三・四・五・六丁目(全域)、西新橋一・二・三丁目(全域)、海岸一丁目(二・三丁目は三田警察署の管轄)、浜松町一・二丁目(全域)、芝大門一・二丁目(全域)、芝公園一・二・三・四丁目(全域)、愛宕一・二丁目(全域)、虎ノ門一丁目、二丁目(3番から9番のみ)、三・四・五丁目(前記以外の二丁目は赤坂警察署の管轄)。明治五(一八七二)年に巡査屯所が設置され、明治一四(一八八一)年一月に宮本町警察署となるも凡そ二ヶ月後の同年四月一日には芝宮本町警察署となり、大正二(一九一三)年に芝愛宕警察署に改称している。この命令書の二年後の昭和一二(一九三七)年に現在の愛宕警察署に改められた(以上はウィキ愛宕警察署に拠った)。

・「宮澤文作」この部分のみゴム印である。この人物は国立国会図書館の雑誌資料の中の『警察協会雑誌』の明治四二(一九〇九)年十一月発行のそれに寄稿している「警察官の方言に就て 宮澤文作」とある人物と考えてよかろう。また、東京都の歴代区長一覧を見たところ、芝区(港区)区長の欄に「宮沢文作」の名が見え、そこには昭和一一(一九三六)年九月就任、昭和一三(一九三八)年十月退任とあり、その日附と連続するように、赤坂区(港区)区長の欄にはやはり「宮沢文作」の名があって、そこには昭和一三(一九三八)年十月二十日就任、昭和一七(一九四二)年九月二日退任とある。同姓同名の異人の可能性もあるが一応、記しておく。

・「(公印)」判然としないが、「警視庁警視之印」とあるように見える。

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