萩原朔太郎 酒場の窓 短歌十首 大正二(一九一三)年十月
酒塲(さけば)の窓(まど)
夢みるひと
つばくらめ酒塲(さけば)の軒(のき)をちらちらくゞれる時(とき)に我(われ)も入(い)り來(く)る
塲末(ばすへ)なる酒場(さけば)の窓(まど)に身(み)をよせて悲(かな)しき秋(あき)の夕雲(ゆうぐも)を見(み)る
薄給(はつきふ)の車掌(しやせう)も我(われ)と盃(さかづき)をさして語(かた)れば悲(かな)しまれけり
放埒(はうらつ)の惡所通(あくしよがよ)ひを悲(かな)しめどわが寂(さび)しみは行(ゆ)くところなし
COGNAC(コニヤク)の醉(ゑひ)にあらねど故郷(ふるさと)の酒塲(さけば)の月(つき)も忘(わす)れがたかり
あせし志村(しむら)一座(ざ)の幟(のぼり)などはためく頃(ころ)を酒店(さかみせ)に入(い)る
かくばかり我(わ)が放埒(ほうらつ)のやるせなき心(こゝろ)きかんと言(い)ふは誰(た)が子(こ)ぞ
(以下公園にて)
晩秋(おそあき)の我(わ)が故郷(ふるさと)の公園(こうゑん)を悲(かな)しく今日(けふ)も歩(あゆ)むなりけり
グラウンドの芝生(しばふ)の上(うへ)に乘(の)り捨(す)てし自轉車(じてんしや)の柄(え)の光(ひか)る夕(ゆう)ぐれ
公園(こうゑん)の碑石(いし)に手(て)を觸(ふ)れ哀(かな)しめる心(こゝろ)つめたく泣(な)き出(いだ)したり
(故郷前橋にて)
[やぶちゃん注:大正二(一九一三)年十月二十八日附『上毛新聞』に標記通り、「夢みるひと」名義で掲載された八首連作。朔太郎満二十六歳。
「酒場」「酒塲」の標記違い及び「さけば」の読みはママ。
二首目のルビ「ばすへ」及び「ゆうぐも」はママ(正しくは「ばすゑ」「ゆふぐも」)。
三首目のルビ「しやせう」はママ(正しくは「しやしやう」)。
六首目の「志村一座」は旅回りの芝居一座と思われるが不詳。
七首目のルビ「はうらつ」は底本では「ほうらつ」であるが先行首に正しいルビがあるので誤植と断じて訂した。
八首目以降三首の「公園」とは朔太郎の愛した「郷土望景詩」に出る前橋公園、現在の群馬県前橋市大手町にある遊園地前橋市中央児童遊園(愛称は「前橋るなぱあく」)であろう。
九首目の「夕(ゆう)ぐれ」のルビはママ。]
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