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2014/02/28

音樂   山之口貘

 

   音 樂

 

あれとは口など利くなと言ふのに

あれに口を利くんだから

僕に口利く暇がなくなるんだ

だからあれを好きになつたんだらうと言ふんだが

だからあんたなんかは嫌ひとくる

だからそれみろ それはおまへが あれを好きになつたんだからであらうと言ふんだが

雨天のたびには

雨が降る

僕がものいふたびに降るものは

あの男のことばつかり

だからもういふまいと口を噤んでみるんだが

みるほどにきこえてくる音

なんの音

たとへやきもちやいてはゐてもこの僕そのものは

物はたしかに愛なんだがときこえるばかり

 

[やぶちゃん注:初出は昭和九(一九三四)年十一月号『日本詩』で、前の「無機物」及びずっと後に載る「立ち往生」と併せて三篇が掲載された。

 原書房刊「定本 山之口貘詩集」では十四行目の「たとへ」が、

 

たとひやきもちやいてはゐてもこの僕そのものは

 

に変えられてある。但し、これは訂正とは言い難く、あくまでバクさんの好みによる変更である。何故なら、このように、後に逆接条件を表わす「ても」を伴う反実仮想の副詞「たとひ」(「假令」「縱令」「縱ひ」)の語源は、ハ行四段活用の動詞「たとふ」の連用形と推測されており(但し、「たとふ」の確かな使用例は、和文脈では、厳密には存在せず、漢文訓読系統から派生した語とされている)、古語には、別に、この「たとひ」の音変化とも思われる副詞「たとへ」(「假令」「縱令」「縱ひ」)が存在し、これは「たとひ」と、用法も意味も全く同じものだからである。【2014年6月17日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、ミス・タイプを発見、本文を訂正、さらに注を改稿した。】【二〇二四年十月十九日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正した。

 

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