篠原鳳作句集 昭和五(一九三〇)年十月
誘蛾灯門内深く灯りけり
[やぶちゃん注:前の「玉里邸」と前書する「誘蛾灯築地のすそに灯りたる」と同じ時と場所での嘱目吟であろう。]
葭の柄のうすうす靑き團扇かな
萍のほどなく泛子をとざしけり
[やぶちゃん注:「萍」は、狭義には単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科ウキクサ亜科ウキクサ Spirodela polyrhiza 若しくは別属のアオウキクサ属アオウキクサ Lemna aoukikusa ・アオウキクサ属コウキクサ Lemna minor・アオウキクサ属イボウキクサ Lemna gibba などを一般に総称する。こうしたウキクサ類で浮遊しているのは葉と茎が融合した葉状体と呼ばれる部分で概ねどの種でも楕円形で、浮遊するために葉状体の内部にある気室と呼ばれる部分に空気を含んでいる。但し、ここでは水面に浮かぶ水草という意味の広義な一般名詞であろう(次注の最後を参照)。
「泛子」は「うき」(浮子)と読む。当初、これを「萍」を狭義のウキクサ類と思い込んで、『私は親しくウキクサ類を観察したことがないので、ウキクサが周日(?)現象を起こすものかどうかは知らない。但し、気孔を通じて気室から空気を出し入れするのであろうから、水面に吸着して(事実、ウキクサの裏面は吸着しやすい構造になっている)浮いた感じで盛り上がって見えたウキクサが、呼吸か光合成か若しくはもっと別な器質的な何らかの理由によって気孔から空気を押し出して(水中に垂れ下がった根には根帽(こんぼう)という少し膨らんだ錘もついている)少し、水面と平行にぺったり張り付いた感じになることはあるのであろう。そうした景を観察したのがこの句ではあるまいか?』なんどというトンデモ博物学をやらかしてしまったが、何のことはない、これは本物の釣の浮子である。浮子を隠してしまうほどの大きさであるのだから、この「萍」はやはりウキクサの類ではなく、もっと大型の例えば、双子葉植物綱フトモモ目ヒシ科ヒシ Trapa japonica であるとか(私は鹿児島の大隅半島の山の中の池で繁茂したヒシを幼少の時に見た)、単子葉植物綱ユリ目ミズアオイ科ホテイアオイ Eichhornia crassipes などの類であろう。]
傘燒に篠の雨とはなりにけり
[やぶちゃん注:十月発行『天の川』掲載句。前注した「曽我どんの傘焼き」の嘱目吟である。祭りが六月二十四日だったとすれば、四ヶ月も前の嘱目で通常の伝統俳句誌ならば、季違いで、違和感があろう。鳳作は前に掲げた傘焼きの句を同『天の川』の句会で詠んだり、同八月号にも投句しており、鳳作は余程この祭りが好きだったものらしい。同時に後に本格的な無季俳句に傾斜する彼はこうしたあえて初夏の景を秋に持ち出すという詠みっぷりの中にも既に示されているというべきであろう。]
濱木綿に籐椅子出してありにけり
うつしみの裸に焚ける門火かな
わらんべの裸にかかむ門火かな
[やぶちゃん注:「門火」は「かどび」で、盂蘭盆の死者の魂迎えと魂送りするために門前で焚く迎え火と送り火をいう。]
水郷川内
芦の間に門火焚く屋のありにけり
[やぶちゃん注:「川内」「せんだい」と読む。現在の薩摩川内市。鹿児島県北西に位置する県内最大面積を持つ北薩地区の中心都市である。東は鹿児島県のやや北西部、鹿児島市の北西約四〇キロメートルに広がる川内平野のほぼ全域を市域とし、西は東シナ海に面している。本市の中心市街地は本土側市域の西部にあるが、海沿いではなく、海岸から一〇キロメートルほど内陸に入った場所にある。東市域を東西に流れる川内川は九州で筑後川に次いで二番目の流域面積を持つ一級河川であり、市域東部には二〇〇五年にラムサール条約指定湿地に登録された藺牟田池(いむたいけ:薩摩川内市祁答院町藺牟田にある直径約一キロメートルの火山湖で「藺牟田池の泥炭形成植物群落」として国指定史跡名勝天然記念物でもある。)がある(以上は主にウィキの「薩摩川内市」に拠った)。]
新涼や再び靑き七變化
[やぶちゃん注:「新涼」は初秋の涼しさを指すから、「七變化」とは秋に向う山野の色の気配が瞬く間に複雑微妙に日々変化してゆくのを詠んだものであろうか。]
組みかけし稻架の蔭なる晝げ哉
一鉢の懸崖菊に風がこひ
[やぶちゃん注:「懸崖菊」は「けんがいぎく」で、菊を盆栽仕立てにして幹や茎が根よりも低く崖のように大きく長く垂れ下がらせて作ったものをいう。「こひ」は無論、「戀(恋)ひ」である。
ここまでは十月の創作及び発表句。]