篠原鳳作句集 昭和六(一九三一)年五月
くまもなき望の光の寢釋迦哉
くまもなき望の光の寢釋迦かな
[やぶちゃん注:前者が『馬酔木』同年五月発表の、後者が『天の川』昭和六(一九三一)年九月発表の句形。先行する寝釈迦句の再吟。]
琉球所見
鶯を檳榔林に聞きにけり
鶯を檳榔林に聞かんとは
[やぶちゃん注:「檳榔林」は音数律からも「びんらうりん(びんろうりん)」と読んでいよう。「檳榔」は「びんろう」と読むならば単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ
Areca catechu に同定される。宮古島にビンロウ Areca catechu が植生することは、例えばこちらの宮古島に住む93(クミ)さんのブログ「宮古島日和ブログ」の「ビンロウ」で明らかではあるからビンロウ
Areca catechu ではないとは言えない。但し、「檳榔」は別に「びろう」と読んで、ヤシ科ビロウ Livistona chinensis という全くの別種をも指し、この「林」という表現からは後者のビロウ
Livistona chinensis の可能性の方が遙かに高いようにも思われる。但し、実景を実際に見ていない(私は残念なことに宮古島には行ったことがない)のでここでは断定は避ける。なお、沖繩ではこの「ビロウ」を「クバ」と呼び、葉を用いて扇や笠などを作る(リンクはそれぞれのウィキ)。]
首里城
屋根の上にペンペン草やら薊やら
琉球の墓は住まつてゐる家よりも
數層倍立派であります。「母體より
出でて母に歸る」と云ふ信仰のも
とに墓は母體に型どつて出來てゐ
ます。墓毎に築地構への庭があり
ます。
鷄合せ古墳の庭に始まれり
[やぶちゃん注:言わずもがな乍ら、亀甲墓(かーみなくーばか)である。私はこれについては多くを語りたくなるのだが、ここはぐっとこらえてウィキの「亀甲墓」をリンクさせるに留める。そうしないといつものように膨大な注になってしまうからである。一言だけ言っておくと、古いタイプのそれは円形をして海波の彼方であるニライカナイにその入り口を向けた子宮のような形をしている。鳳作の前書は要所を押さえた簡便ながらよい解説である。「鷄合せ」沖繩では「闘鶏(たうちーおーらせー)」と言って二羽の雄の鶏を戦わせる娯楽が古来より盛んであった。
以上、四句は五月の発表句。最後の句は底本では六月の句群最後に配されてあるが、この句、『ホトトギス』では六月の発表だが、『不知火』は五月発行分に掲載されているのでここに配した。編者には相応の意図があって後ろに回しているのであろうが、その意図が不明である以上、書誌データからここに移動させた。]