杉田久女句集 57 燕に機窓明けて縫ひにけり 《解釈に識者の御教授を乞う》
燕に機窓明けて縫ひにけり
[やぶちゃん注:大正八(一九一九)年の作。私が莫迦なのか、本句は解釈に苦しんでいる。「機窓」はどう読んでも「はたまど」という熟語としか思えないのだが、これは、一体、何だ? 機織り機の置いてある別棟の機屋(はたや)の窓か? それとも何か独特の(機織り機に似た)構造の窓のことか?(「日本国語大辞典」にも「機窓」は乗らない。ネットで引っ掛かるのは、これ、飛行「機」の「窓」である。)――その窓を開ける(「明けて」の用字も気になるが暫く「開けて」の意で採る)のは「燕」(「つばくら」と訓じていよう)のため、というのは――例えばその機屋の内に燕が入り込んでいて巣を作っていたから、その巣に親鳥を通わすために機屋の窓を開けた――というシチュエーションが自然に浮かんでそこだけは腑に落ちるのだが、しかし下五でまた躓く。そこで機(はた)を織るのではなく、手で何かを「縫」っているからである。これは何故?……これは貧しい私の知恵では……久女はこの時、機を織ろうと機屋へ入ったのだったが、気がつけばその屋内には燕が巣を作っており、その中には既に沢山の子が生まれていた(だからこそ餌を運ぶ燕を通わせるために「機」屋の「窓」を「明け」(開け)たのである)。だから……その燕の子たちを驚かさぬために久女は大きな音の出る機(はた)を織るのはやめにし、静かに別な手縫い仕事をそこで始めた……という牽強付会の謗りを受けそうな解釈しか出来ない。……私は……もしかすると……とんでもない思い込みと誤読をしているのかも知れない(でなければここまでの不審と解釈への自信のなさは募らぬはずだから)。どうか識者の御教授を乞う。目から鱗の解釈をお願いしたい。]
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