萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「若きウエルテルの煩ひ」(4)
美しう君よそほへて船にのせて
港いづべき戀もあらぢか
[やぶちゃん注:「よそほへて」「あらぢか」は孰れもママ。底本の注には校訂本文でも「よそほへて」を維持し乍ら(他では歴史的仮名遣や誤字に対して鮮やかに文句なし注なしの確信犯の『補正』を英断しているにも拘わらず)、『「よそほへて」は「よそはせて」の意の誤用と思われる』という注を附すに留めている。]
くちなはの瞳おかしや世にはぢて
狐の如く野に迷ふわれ
[やぶちゃん注:「おかしや」はママ。原本では「迷ふ」は「述ふ」であるが、先行する誤字と校訂本文から訂した。]
かくて尚千代もあるべし世は小さう
君が胸にといたつけ白鳩
[やぶちゃん注:「いたつけ」は他動詞タ行下二段活用の古語「射立(いた)つ」を「射た立つく」というカ行五段活用に誤って変化させたその命令形か。――射た矢が突き立つように君の胸へと飛び込んでゆけ、白鳩よ――大方の御批判を俟つ。]
くらやみに動くものあり日は知らで
いたちむぐらの眞洞に似る世
[やぶちゃん注:朔太郎満十七歳の時の、『文庫』第二十四巻第六号・明治三六(一九〇三)年十二月に「上毛 萩原美棹」の名義で掲載された十四首連作の掉尾、
くらやみに動くものあり。日はしらで、いたち、もぐらのによべる如く。
の類型歌であるが、下句のイメージは聴覚的な唸り声から視覚的なブラック・ホールの冥界へと変じて全く異なっている。「呻吟(によ)べる」という分かり難い古語とイメージの衝突の分かり難さは解消されたものの、「世」という上位構造の比喩が明らかにされてしまい、分かりが良過ぎる優等生短歌になってしまった感がある。句読点を配した独特のリズム感覚からも先行(と考えてよい)句形を私は支持する。]
別れても人待つほどはかへり來よ
岩にせかるゝ瀧川ならぬ
なべて世は美くしなべてけがらはし
解(げ)しえぬものと死は迫るかな
[やぶちゃん注:「美くし」はママ。]
時事を憤りて
ますらをはたゝず小麥は穗に笑めど
哥薩克(コサク)かへらず秋やゝたけぬ
[やぶちゃん注:「穗」は原本では「※」(=「禾」+「尃」)であるが、文脈から訂した。校訂本文も「穗」とする。「哥薩克(コサク)」かつてウクライナと南ロシアなどに生活していた軍事的共同体であったコサック(козак)。本「ソライロノハナ」の製作は大正二(一九一三)年四月頃で、この歌自体の「時事を憤りて」とは、ロシア帝国の革命派に対する容赦ない弾圧やロシア帝国の第一次世界大戦参戦(一九一四年)への軍靴の音を指すものか。なお、コサック軍は同大戦ではロシア騎兵団の中心を成した。後のことながら、しかしこの後の一九一七(大正六年)年のロシア革命が勃発するとウクライナ・ドン・クバーニに於いてコサック三国は独立を宣言、三国はロシア白軍及びシベリアのコサック諸軍ととともにロシア共産党及び赤軍に抵抗したが敗北、一九一八年から一九二〇年にかけてコサック階級は排除されてコサック諸軍も廃軍となった。なおこの後、裕福なコサックの一部は欧米諸国へ逃亡したが、残されたコサックは共産党による弾圧の対象となり、ソヴィエト政権はコサックの大部分とそれらの家族全員を死刑や流刑に処し、ホロドモール(Голодомо́р:一九三二年から一九三三年にかけてソビエト連邦ウクライナ社会主義ソビエト共和国・カザフスタン共和国・現ロシア連邦のクバーニ・ヴォルガ川沿岸地域・南ウラル・北シベリアなどのウクライナ人が住んでいた各地域で起こされた人工的な大飢饉。ウクライナ人たちは強制移住によって家畜や農地を奪われて、このジェノサイドによって四百万から千四百五十万人が死亡したとされる。これの大飢饉は現在、ウクライナ議会によってスターリンによる計画的な飢餓と認定されている)によって餓死させられた。このため、第二次世界大戦においてはコサック残党はドイツ軍に味方してソ連軍と戦ったが、ドイツの敗北とともにコサックは共同体としての姿を消した(ここは主にウィキの「コサック」及び「ホロドモール」に拠った)。これ以前のコサック関連の情報を私は不勉強にしてよく知らない。ここで朔太郎が憤ったコサックに関わる時事とは何だったのか? 今一つ分からぬ。識者の御教授を乞うものである。]
淋しけれど人は怨まじ嘆くまじ
己が世なれば瘠せもしてまし
[やぶちゃん注:本首も同じく朔太郎満十七歳の時の、『文庫』第二十四巻第六号・明治三六(一九〇三)年十二月に「上毛 萩原美棹」の名義で掲載された十四首連作の六首目、
淋しけれど人は恨まじなげくまじ。おのが世なればやせもしてまし。
と表記違いの相同歌である。]